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歴史や政治を中心に本の要約を紹介します。たまにゲームレビューも。

安保論争

 

安保論争 (ちくま新書)

安保論争 (ちくま新書)

 

 きっかけ

  • 日本人の一人として、またかつて国際政治を学んだ者として、2015年前後(もうそんな昔になるのか)の安保関連法案に関する議論には多少の関心を持っていました。しかし、私がネットやテレビで目にするのは、「合憲か違憲か」といった二項対立や、「徴兵制の復活」「若者を戦場に送るのか」といった反対派による過激な主張ばかりでした。私はそれに辟易しました。そして、この件について考えることをいったん先送りしました。
  • あれから5年ほど経ちました。今なら、当時を冷静に振り返りながら議論を検証できるのではないか。また、関連する書籍を安価に入手できるのではないか。そう思って、毎度おなじみ、Amazonマーケットプレイスで本を探しました。そうして、私は本体2円+送料350円という信じられない価格でこの本を購入したのでした。

著者は?

どんな本?

本書の重要な目的は、以下について考えることである。

  • 現代の世界でどのように平和を実現すべきか
  • 自国の安全をどのように確保すべきか
  • 日本の安全保障を考えるうえで、冷戦時代と何が同じで、冷静後には何が変わったのか

感想

著者のイライラと知的な横柄さ

私も、総論としては日本が世界の平和のために積極的に貢献すべきだと思います。ただ、一個人として、例えば現地に飛び込んで何かしようとか、それができない代わりにせめて私財を寄付しようとか、そういう志はありません。なぜなら私にはそれらに必要な体力も経済力もないからです。その代わりに、実際に危険を伴う地域で活動 している自衛隊の方々には、自分にできないことをやってもらっているという理由から、感謝と尊敬の念を持っているつもりです。

一方、反対派に対しては、正直醒めた目で見ていました。彼らの主張する「戦争法」というレッテルには強い違和感を覚えましたし、国会議事堂前に集合して「戦・争・反・対!」と歌うことが彼らの主張の説得力を高めるとも思えませんでした。が、世の中のルールの範囲内であれば人が何をしようが自由ですから、「まぁ世の中いろんな考えの人がいるからなぁ」というくらいに見ていました。

ところが、著者の文章からは、強い怒りを感じます。読んでいると、著者のイライラが伝染して、こちらまでイライラしてきます。その理由は、上から目線で粘着質な文章にあります。例えば、こんな調子です。少し長いですが、丸ごと引用します。

はたして反対派のどれだけ多くの人が、彼らが「戦争法」と呼ぶこの法律を、実際に読んでいるのだろうか。そしてその条文や、そこで用いられている概念を正確に理解しているのだろうか

もしもそれらを実際に手に取って読んでおらず、それらを理解していないとすれば、それはまるでいちども会ったことのない人、どのような人物かをまったく知らない人を、「悪魔」と決めつけて、恐れ、おののき、嫌悪することと同じではないか。なぜ会ったこともないのに、その人を「悪魔」と決めつけることができるのか。なぜ読んだこともない法律が成立することが、日本を戦争に導くと断定できるのか

そして、法律が成立した2015年9月19日以降に、実際に日本は戦争をするような国になって、アメリカが行う戦争に巻き込まれる可能性が高まっているのだろうか。もしも、安保関連法が成立した2015年9月19日以降も、日本では平和主義の理念が維持されており、民主主義が機能しており、立憲主義が尊重されており、戦争国家になっていなかったとしたら、反対派の人々の主張は間違っていたのか。そして、それを煽ったメディアの一部はいまの日本が本当に、立憲主義が機能しておらず、民主主義が否定され、平和主義の理念が失われた、危険な軍国主義的な戦争国家だと考えているのか。そして、本当に2015年9月に、それまでの戦後日本の安全保障政策が否定されたと、今でも本気に考えているのだろうか

(P. 43~P. 44)

なんだか読んでいて息が詰まりそうな文章でした。「いや、そこまで怒らんでも・・・」と割って入りたくなるほどです。これだけ繰り返し畳みかけられると、著者寄りの立場にあるはずの私でさえ、「こんなこともわからないの?」と著者に馬鹿にされているような気がします。P. 229に以下の文章があります。

安保法制をめぐる議論のなかで最も不幸であったのが、理性的で論理的な論争をするのではなく、相手を罵り、嫌悪し、否定して、自らの立場が優越であることを疑わないような知的な横柄さと、暴力的な言説の露出であった。それは、賛成派、反対派の、いずれの側にも見ることができた。

私には、この著者もまた、自らの立場が優越であることを疑わないような知的な横柄さを露出してしまっているように感じられます。世間ではこれをブーメランと呼びますが、果たして。

平和安全法制反対派叩き、批判潰しの書

著者は、日本の行政機関の一つ、国家安全保障局の顧問を務めています。つまり、著者は政府に非常に近い立場にあるわけです。 しかし、著者は私立大学の教授です。 であればこそ、自身の立場を政府と一体化することなく、賛成派と反対派、双方の立場を理解した中立的な議論を展開すべきだったと私は思います。これでは、 ちくま新書並びに慶應義塾大学法学部教授・細谷雄一の名を借りた、政府による反対派叩き、批判潰しです。こういうのは良くない。

理由付けのない一方的な主張

もう一つ引っかかったのは、主張や説明に理由付けがないということです。

私が納得感を深めながら読める文章は、「AはBだ。なぜならCだからである。」のように、理由が説明されているものです。これがあることによって、「なるほど」「そういうことか」と一つずつ腹落ちしながら先へ進むことができます。

しかし、本書には「なぜなら~だからだ」の部分がほとんど見当たりません。その結果、事実の羅列と著者の自己主張が延々続くため、読んでいてとても疲れる文章になります。

安全保障に関する議論は、大変に高度なものです。本書は新書ですから、学生や研究者だけでなく、一般人も想定して書かれるべきものです。したがって、専門用語を用いるからには、つど立ち止まって解説し、読者の理解を助ける必要があります。それがない評論は、自己満足との誹りを免れないでしょう。

まとめ

読書は学び、発見、共感、感動などをしばしば読者に与えてくれます。しかし本書は、著者の自己主張と感情が強烈に放出されています。一言で言ってしまえば、独りよがりの悪文です。私は残念ながら、ここから何かを得ようという気持ちになれませんでした。それでも少しは得るものがないかと頑張って何度か読み返しましたが、どうしても不快感が募りました。私はとうとう、この本をごみ箱行きとしました。本だけはなかなか捨てられない私の一大決心でした。