きっかけ
私のここのところの関心はイスラームに向いています。イスラームについての基礎知識がないことへの危機感が、私を読書へ促すのでしょう。
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著者は?
- 坂本勉
- 1945年山梨県生まれ。1969年慶應義塾大学文学部東洋史専攻卒業、75年同大学院文学研究科博士課程満期退学。1974年慶大文学部助手、81年助教授、91年教授、2011年定年退職、名誉教授。前嶋信次、井筒俊彦らに師事した。専攻はトルコ史、中東史。
どんな本?
序章より
- メッカが宗教的ネットワークの中心であることに注目して、巡礼を通じてヒト、モノ、情報の流れがどのようなものであり、いかなる関係の網の目がつくりだされていったのかを、歴史的にみていく
- 巡礼が生みだすヒト、モノ、情報のネットワークによって国を越えて広がるイスラーム世界がいかなる構造をつくりだしてきたのか、その社会的側面をみていく
感想
「網の目」や「ネットワーク」というキーワードから、学校で習った世界史にはない、イスラーム視点の歴史記述を期待しました。
「欧米主観では気づかんかったけど、イスラーム世界ではこういうユニークなつながりが構築されてたのね!やるやん!」
という類のものです。
しかし、残念ながら本書で述べられていることは、まま想定内、期待を超えるものではありませんでした。メッカを目指すルート沿いに市が栄え、中継視点となる都市が発展しました、というだけでは物足りないです。
また、終章で著者は巡礼が時代を移す鏡であると述べていますが、この点についても説得力が弱く、なんだか取ってつけたような感じを受けました。文章自体は読みやすく親しみが持てるだけに、惜しい本でした。
それでも、明治期の日本人にメッカ巡礼を成し遂げた人がいて、しかもそれが政府の肝いりだったというのには驚きました。
2021/9/3 追記
2020年5月に一度読み終えていたことに、後から気づきました。一度読んだ本であれば、だいたい「あれっ、これは」と既読感、既視感を覚えるものですが、それがなかったのです。
メモ
序章 ネットワークからみる巡礼
- ムスリムにはそれぞれ性格、次元を異にするいくつかの空間があり、それらに対して彼らは状況に応じて違ったアイデンティティをもちながら、日々行動している。
- イスラーム世界においては大前提として唯一絶対なる神(アッラー)がいかなる存在にも優越してあり、その下で人間は誰でも平等であるという原則が貫かれている。
- 言い換えると、神以外に絶対的な権力を認めず、それ以外のすべての存在は神の下でまったく等位の関係に立つということである。
- 人は、たがいに敬意を払いつつ上下の関係ではない、水平的な関係を結びながらひとつのまとまり、社会をつくっていくべきだというのが、イスラームのめざす組織原理のもとになっている。
- イスラーム世界というのは、水平型のネットワーク社会を指向する、境界のあいまいな広域的な空間だということができる。
- イスラーム世界は、国とは対照的に柔構造にあふれた社会、空間だといえよう。
- 言葉、文化においてヴァラエティに富むイスラーム世界を普遍化し、ひとつの文明圏として成り立たせているのが巡礼である。
第1章 巡礼の起源と儀礼
- イスラーム以前のアラビア半島では、石や樹木や泉などの自然物、加えて呪術師、占い師、詩人などが崇拝の対象とされ、偶像にして祀られた。
- クライシュ族の族長クサイイは、近隣の諸地域を武力で征服すると、一説には800以上とも言われる偶像をメッカのカアバ神殿に保管、管理した。この結果、メッカのカアバ神殿には多数の巡礼者が訪れるようになった。
- 624年、ムハンマドは礼拝の方向をエルサレムからカアバ神殿に変更した。翌625年、巡礼をすべてのムスリムの義務とした。632年の四度目の巡礼では、4万人ものメディナのムスリムがムハンマドに率いられて参加した。
- 現在のカアバ神殿は、マスジド・アル・ハラームの中庭のちょうど真ん中に立つ縦12メートル、横10メートル、高さ16メートルほどの立方体の建物である。内部はがらんどうで、アッラーの居所と考えられている。
第2章 聖域への道
- キャラバンは、旅する者の安全を確保するためにイスラーム世界の人びとが知恵をかたむけてつくりだした交通のシステムである。
- キャラバンが編成される理由には、巡礼ルートの要を抑えることによってヒトの流れをコントロールし、政治的な威信を高めようとする支配者たちの意向も関係している。
- 19世紀半ばを過ぎると、蒸気船が巡礼者を運ぶ交通手段の主役として躍り出た。これによって、旅は大衆化されていくことになった。
- イスラームにおける巡礼は、個人を束縛から解き放ち、より自由な人間関係にもとづくイスラーム共同体を再構築していくことを一義的な目的としておこなわれるべきである。この意味でイスラーム世界の巡礼は社会性が強いものである、とイランの思想家シャリアーティーは言う。
- 一方で、願いごとをかなえたい、祈願をおこないたいという個人的、精神的な動機をもって巡礼に赴くという面も無視することができない。
- 巡礼は、人びとの複雑な思いが仮託されることを許すたくみな移動の装置である。
第3章 広がる商業空間
- 7世紀前半から現在にいたるまで一貫して巡礼は自分の力でおこなうべきものとされてきた。
- 巡礼者はつねに綿布のような商品価値の高いものを交換手段として用意しながら、市が連鎖するルートを旅していった。
- 蒸気船時代が到来すると、カイロ、バグダード、ダマスクスからのキャラバンルートの商業的な衰退が進んだ。
- 1908年、オスマン帝国はダマスクスからメディナまでヒジャーズ鉄道を開通させた。しかし、第一次世界大戦中、「アラビアのロレンス」による爆破作戦によって鉄道はいたるところで寸断され、ヒジャーズ鉄道は当初の経済的なもくろみを十分に実現できないまま、荒野にうち捨てられた。
- メッカの聖域があるところはまったく不毛な大地であるため、 食糧をつねに外部に依存しなければならず、それだけに広域的な交易市場圏とつねに連動していた。
- イギリスのトマス・クック社は、インド政府の要請を受けて巡礼者向けのパッケージ・ツアーを販売した。しかし、ムタッウィフ(旅行代理業者)が伝統的に保持するネットワークを切り崩すことができず、わずか7年で撤退した。
- イスラーム世界では遠隔地間でも連絡が円滑にできる情報網が早くから確立しており、これによって為替手形のような信用保証の制度が古い時代からできあがっていた。
- 巡礼によって広がる商業空間は、世界的にみてもユニークな広域的交易市場圏だった。
第4章 思想の窓口 メッカ
- ワッハーブ派とは、ムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブ(1703-1791)という宗教者が始めた、原始イスラームの精神を見つめ直す思想グループである。
- 1802-1803年、ワッハーブ派の軍隊は神の唯一性を守り、偶像崇拝や多神教崇拝に通じる聖者崇拝を否定しようとする思想から、メディナのムハンマド廟を破壊し、イラク南部カルバラーの聖地も攻撃し、さらにメッカも占領して墓や霊廟を次々と破壊した。しかし、これに対しオスマン帝国のエジプト州総督ムハンマド・アリーは、1811年にワッハーブ王国を攻撃し制圧した。
- ワッハーブ派の攻撃に対し、イスラーム神秘主義を実践するスーフィーたちは、行き過ぎた聖者信仰に歯止めをかけ、ワッハーブ派に対抗する改革運動に乗り出した。イスラーム神秘主義はムハンマドの道という新しい衣で再生の道を開き、今なお強靭な生命力を保っている。
第5章 パン・イスラーム主義を目指す旅
- イスラーム世界の理想とは、それを構成する地域や国のあいだに境界をもうけず、そこに住む人びとが同じ信仰の絆でむすばれたムスリムであるという意識を持ちながら、ひとつの強固なまとまりをもつ共同体(ウンマ)をつくりだしていくことである。
- しかしながら、歴史的には分断されている方がふつうであった。とくに19世紀後半から第一次世界大戦が終わる頃までの時期は、欧米諸国による帝国主義的進出によって、イスラーム世界のなかに深い亀裂が生じていたからである。
- これに対し、イスラーム世界に大同団結、連帯と統一をもたらし、イスラーム世界を再生しようとする思想をパン・イスラーム主義という。
- アブデュルレシト・イブラヒムは、日本に接近し、その大アジア主義をみずからのパン・イスラーム主義に取り込んでいこうとした。しかし、その努力にもかかわらず日本との関係は見るべき進展はなかった。また、巡礼の旅の途中に立ち寄った各地域のパン・イスラーム主義に対する反応もはかばかしくなく、パン・イスラーム主義にもとづくネットワークの構築は儚い夢として終わった。
終章 イスラーム復興のなかで
- 時代を映しだす鏡としての、巡礼はますます輝きを増している。第一には、この鏡がイスラーム世界の広域性を照らし出しているからである。第二に、巡礼は国を超えた共同体的な結合や統合の原理を示しているからである。