本・ゲ・旅

歴史や政治を中心に本の要約を紹介します。たまにゲームレビューも。

鹿の王

 

鹿の王 (上) ‐‐生き残った者‐‐

鹿の王 (上) ‐‐生き残った者‐‐

 

 

鹿の王 (下) ‐‐還って行く者‐‐

鹿の王 (下) ‐‐還って行く者‐‐

 

 

きっかけ

これまで上橋菜穂子の本は読んだことがありませんでした。ただ、結構人気のある作家だということだけは、何かの折になんとなく知っていました。書店で文庫の新刊が平積みになっているのを、見かけたことがあるような気もします。

ところで夏といえば、新潮社、集英社KADOKAWAの3社が文庫本のキャンペーンを展開する季節です。私はなんだかんだ言いながら、今年は各社がどんなラインナップを揃えてくるのか、ひょっとしてその中に一生の出会いがあるやもしれぬ、などと胸踊らせます。

本作は、KADOKAWAの1冊です。出版社が力強く推しているように感じられ、かつAmazonでのレビューも好評のようなので、気が向いたら読んでみようかなと思っていたところ、ブックオフで1冊210円なのをたまたま発見しました。「ハズレなら途中でやめればいいや」くらいの軽い気持ちで、私は本書を購入しました。

あらすじ

強大な帝国・東乎瑠(ツオル)から故郷を守るため、死兵の役目を引き受けた戦士団“独角”。妻と子を病で失い絶望の底にあったヴァンはその頭として戦うが、奴隷に落とされ岩塩鉱に囚われていた。ある夜、不気味な犬の群れが岩塩鉱を襲い、謎の病が発生。生き延びたヴァンは、同じく病から逃れた幼子にユナと名前を付けて育てるが!? たったふたりだけ生き残った父と子が、未曾有の危機に立ち向かう。壮大な冒険が、いまはじまる――!

感想

  • 本書は、謎の病を中心に展開します。私はそのことをまったく知らずに読み始めましたが、謎の病に対する恐怖や、治療に試行錯誤するあたりが、目下の新型コロナウイルスの感染拡大とほとんど重なって見えました。この偶然に私はとても驚きました。例えば、本書の中盤、医術師が重症の患者に対して治療を試みる場面があります。ここで見られるやりとりは、新型コロナウイルスの重症患者へのそれと大して変わらないのだろうと想像されました。本書の登場人物と同様に、この世のリアルな重症患者の中には、たとえ効果が不確実な薬であっても投与されたいと求める人もあれば、ひょっとしたら何らかの信念に基づいて治療を拒む人もいるのかもしれない。そんなことさえ想像しました。もちろん、この年でまだ死ぬわけにいかない私は、前者です。
  • 本書は、ファンタジー小説と分類されるのでしょうか。私にとってはなじみのないジャンル。果たしてファンタジーの世界に入っていけるのだろうか?私が一番不安に感じていた点です。しかし、それは杞憂でした。その要因は、著者の豊富な語彙と、それでいて難解さを感じさせないとっつきやすい文章です。実際、本書には日本語とは少し違う語感の地名や人物名が続出します。ヴァンやらホッサムやらといった固有名詞がそれです。しかし、著者が描く人びとや世界に、私は自然と没入できました。日本ではないが、日本に近い自然環境がある世界。そこで日本語ではないが日本語とそう遠くもない言葉を話す人びと。そして、話し言葉に現れる、安心や緊張や恐怖といった豊かな感情を臨場感を持って伝えられる著者の文章力です。
  • 臨場感といえば、著者が描く大自然の美しさや臨場感に、私は思わずゼルダの伝説ブレスオブザワイルドの世界を連想しました。特に、ヴァンが子どもたちに鹿の生態や鹿との接し方を伝える場面は、ブレスオブザワイルドに登場する、青空のもとに豊かな森と動物が暮らす地域がぴったり重なって、まるでリンクがゲーム中のクエストをこなしているかのようにまざまざと浮かびました。
  • 「伝染病は、罹患する人が多ければ多いほど深刻化する。」(下・282)という一文にゾッとしました。上に同じく、新型コロナウイルスと重ねてしまったためです。
  • はじめは冒険小説の類かなと予想して読み進めましたが、後に行けば行くほど、そんな単純なもんじゃないぞとわかってきました。私が思うに、本書は生命、生物、医学、政治、安全保障、ミステリー、人と人との絆などを複雑に重ねて織り合わせた現代小説です。上下巻合わせて1000ページ超の大作ですが、破綻なくまとまっているのは凄いの一言。
  • ただ、重厚であるだけに、登場人物が多すぎて私の頭では人間関係を把握しきれませんでした。「え、誰だっけこの人?」と巻頭の主な登場人物を辿るも、情報が少なすぎて思い出せません。ゆっくり丁寧に、あるいはいっそ最初から読み直せばそれぞれが記憶にも残るのでしょうが、私のようなせっかちにはちょっと無理。ごめんなさい。
  • 血なまぐさい戦闘や権力者による駆け引きなど、重めのストーリーが続く中で、拾い子のユナちゃんの可愛らしさはほとんど唯一の癒やしでした。天使。よかった、死んでなくて…。
  • 特に私の印象に残ったのは、上巻の中盤で医術師たちがぶつけ合う医学や生命に関する台詞。
  • 「私たちはみな、ただひとつの個性なんです。この身体もこの顔も、この心も、一回だけ、この世に現れて、やがて消えていくものなんですよ」
  • 「身体も国も、ひとかたまりの何かであるような気がするが、実はそうではないのだろう。雑多な小さな命が寄り集まり、それぞれの命を生きながら、いつしか渾然一体となって、ひとつの大きな命をつないでいるだけなのだ。」(下・413)

まとめ

久しぶりの小説体験は、私にはちょっと重たく、消化不良気味に終わってしまいました。それでも、生命について何かしら考えるきっかけを得られるのは間違いありません。