本・ゲ・旅

歴史や政治を中心に本の要約を紹介します。たまにゲームレビューも。

新訂第4版 安全保障学入門

 

新訂第4版 安全保障学入門

新訂第4版 安全保障学入門

 

きっかけ

  • 2021年1月時点では第5版が出ています。丸善で立ち読みし、面白いので買って読みたいなと思いましたが、3000円出すのはちょっとな、と逡巡。
  • 知りたいのは安全保障に関する基礎知識であって、最新の内容でなくてよい私は、旧版を安く購入して読んでみることにしました。(151円+送料350円)

感想

  • 冒頭、リアリズム、リベラリズム、コスモポリタニズム、コンストラクティビズムの4学派の説明から始まります。このいきなり感がたまりません。しかも、これまでに読んだどの国際政治の教科書よりも説得力があります。非常に好印象です。
  • 専門用語が出てくる都度、○○は△△である、と簡潔かつ明確に定義してくれるので、とても勉強になります。
  • 例示や引用もまた簡潔、必要最低限
  • 史実の列挙に終始するのでなく、また平和や不戦を理想と掲げるのでもありません。安全保障の手段や捉え方が多様化していることに十分触れつつも、リアルな軍事力の重要性について釘を刺すことは忘れない、現実に軸足を置いた力強い論述です。
  • 本書で取り上げる歴史は、ほとんどが第二次世界大戦後、すなわち現代です。ともすれば、19世紀のヨーロッパの協調やパクス・ブリタニカ、あるいはパクス・ロマーナローマ帝国時代)など、政治学の本ではとめどなく歴史をさかのぼってしまいがち。それを避け、あくまで現代世界を冷徹に捉える眼差しが頼もしいです。
  • 国際情勢や平和を語る前に、最低限、この本に書いてあることは知っておかねばならないと気付かされました。
  • 政治学科の新入生全員に手にとってほしい!!おれも学生時代に出会いたかった!

メモ

  • 集団安全保障体制は、同盟体制が外部の脅威に対抗するためのシステムであるのとは異なり、対立関係にある国をも含めてすべての国が体制に参加した上で、諸国が力を結集することによって体制内の不特定の構成国による平和破壊行為に対処しようとするものである。
  • 共通の安全保障とは、冷戦期のヨーロッパにおける東西対立に対処する方策として生まれた概念である。敵と協力して望まない戦争を回避するための安全保障の枠組みである。
  • 協調的安全保障とは、対立構造が不明確で不安定な地域における、敵でも味方でもない国々の間の関係を安定させるのに有効と考えられるシステムである。域内のすべての国が体制に参加した上で、諸国の協調によって体制内の不特定の潜在的脅威が顕在化して武力衝突につながることを予防し、紛争の平和的解決を図り、また万一武力衝突が勃発してもその規模を限定するための枠組みを作ろうとするものである。協調的安全保障は、武力紛争の予防を非強制的な手段で達成しようとするところに特徴がある。
  • 人間の安全保障とは、地球規模の課題から個々の人間を守ることを安全保障の主眼とみる立場である。しかしながら、国家レベルを中心とした伝統的な意味での安全保障が実現されていなければ、人間の安全保障の実現もおぼつかない。
  • 戦争の発生頻度に大きな影響を与えるのは、力の分布構造である。
  • これまでの実証研究では、同盟は戦争を引き起こす原因であるとも、平和を保証する手段であるとも断定できない。
  • 大国間の力の接近が必ず戦争に発展するわけではない。しかし、少なくとも戦争勃発の予兆となる。
  • 複合的相互依存とは、国家間の経済が相互に密接に結び付き、他国の政策が与える影響を無視して自国の経済目標を達成することが困難な状況をいう。
  • 民主国家同士は戦わないという仮説を国家レベルの分析から実証するのは困難である。
  • 民主化の促進が世界平和を実現する保証はない。
  • マルクス主義帝国主義論は、戦争が資本主義の必然的産物であると主張した。しかし、1870年以降大国が関与したほとんどの戦争は、経済的動機だけが主たる原因ではない。また、社会主義国家が平和を導くとの処方箋も、戦後の歴史的事実によって否定されている。
  • 側圧理論とは、国内の成長圧力→国家間の利害衝突→軍事支出の増加や同盟の形成→戦争という連鎖反応
  • 転嫁理論とは、政治指導者による開戦の決定が、国内問題から国民の関心を逸らし、政権基盤の再強化を図るという政治的動機に基づいているというものである。
  • 冷戦期よりも冷戦後の方が、内戦は増大傾向にあるという認識が一般的である。しかし、実際には内戦は拡散しておらず、冷戦の終結は内戦の発生頻度の増大とは無関係である。
  • 民族の相違自体を内戦の原因に直結させる見方は短絡的である。
  • アイデンティティは内戦を発生させる間接的原因であったり、内戦をエスカレートさせる要因であるかもしれないが、直接的要因とはいえない。
  • 経済発展説は、急速な経済・社会的変化が、希少な資源の分配をめぐって民族集団感の対立を促進すると説明する。しかし、富の不均衡配分に対する不満が常に内戦に直結するわけではない。
  • 貧困が内戦の原因であるとの仮説も提起されている。しかし、政府軍・警察の能力は、必ずしも当該国の経済水準と一致するわけではない。
  • 被差別集団の政治的権利や市民的自由を保証する政治体制ほど内戦発生の確率は低下すると考えられる。しかし、独裁性は民主制よりも異議申し立てを強権発動によって抑圧することが可能である。また、反乱組織の形成にはある程度の自由が許容されていなくてはならない。
  • 戦争を防止するには、戦争について知ることから始めねばならない。しかし、我々が知っていることは極めて限られており、知っていると信じていることの中には、過去の事実と符合しないものや将来の現実には適用できないものが数多く含まれている。
  • 国家安全保障は、自助による安全を強調する概念である。
  • 国際安全保障は一刻の安全が他国の安全と密接に関係しているという相互依存の考え方に立脚した概念である。
  • 覇権(hegemony)モデルとは、卓越した力を保有する単一の支配大国が、その力を背景に国際社会の平和と安定を提供する国際安全保障システムをいう。
  • 単極が国際システム内の単なる力の集中を意味するのに対し、覇権は諸国家の関係性を制御する影響力を意味する。
  • 覇権国には、武力の直接的行使や威嚇によって他国の服従を強制する傾向のある「帝国的覇権(imperial hegemony)」と、他国の合意と協力を得て国際システムの安定を図ろうとする「民主的覇権liberal hegemony)」の二つのタイプがある。権威よりも権力に依存するのが「帝国的覇権」であり、権力よりも権威に依存するのが「民主的覇権」である。
  • 覇権国の有する卓越した力は、挑戦国の台頭を阻止し、国際安全保障の維持に貢献する。反対に、覇権国の卓越した力は他国の自律性を脅かし、対抗勢力の連合を招くため、結果的に国際安全保障を維持することにはならないとの見方もある。
  • 覇権国の掲げる価値体系が広く共有されれば、覇権国が提供する安全保障秩序の安定に寄与するとされる。一方で、覇権国の価値体系を受け入れない国々への押し付けとなって反発を引き起こすとの見方もある。
  • 覇権国から見れば国際安全保障は国際公共財であるが、他の諸国にとっては覇権国自身の私的利益を増進するものにすぎないとの見方もある。
  • 覇権国が国際公共財を過剰負担する「民主的覇権」モデルは、覇権国の力を相対的に低下させるため、たとえ一時的に国際社会を安定化させることができたとしても時間の経過とともにそれは不安定化せざるをえない。
  • 「帝国的覇権」モデルは、公共財の過剰負担の代わりに強力な軍事力を必要とするので、結局は軍事力と経済力のバランスを喪失して衰退せざるを得ない。
  • 勢力均衡モデルは、均衡を通じた相互の牽制によって、諸国家の独立と安全を保証する体制である。
  • 貨幣の場合には、それを①誰が、②誰に対して、③どのような財やサービスと交換するために使用しても、効用は一定である。ところがパワーでは、同じ資源でも、①誰が、②誰に対して、③どのような問題領域で何を実現するために使用するのか、により、発揮される政治力の大小は変動する。
  • パワーの源泉となる資源は多様である。
  • ジョセフ・ナイは、「ある国が、脅迫や報奨によって、他国にそうでなければしなかったであろうことをさせる能力」をハードパワーと呼び、「ある国が、自国の望むことを他国も望むようにさせることによって、望ましい結果を得る能力」をソフトパワーと名づけた。
  • 文化的な魅力や情報力がソフトパワーであり、ハードパワーとは軍事力や経済力のことだという理解は正しくない。また、ある国が文化的な魅力や情報力を高めたからといって、自動的にその国のソフトパワーが高まるというわけでもない。
  • ある国の課題設定能力や枠組み形成能力が高ければ高いほど、その国にとって望ましい交渉結果を他国が自ら選好する可能性がより高まる。
  • さらに、ソフトパワーの大小は、その国の評判や信用性にも大きく左右される。
  • 今日の世界では、過去に比べてハードパワーの行使が難しくなってきている。それに伴い、他者に知らず知らずに望ましい行動をとらせるソフトパワーが相対的に重視されるようになった。
  • ただし、国際政治において軍事力や経済力を源泉とするハードパワーの重要性が失われたわけではない。
  • ハードパワーの行使の代表的なものとして以下のような形態が区別できる。①他の主体が現にとっている行動を、やめさせたり、別の行動に変えさせたりすること。(強制)②他の主体が現にとっている行動を、放置すればやめてしまう恐れがある時に、その行動を続けさせること。③他の主体が、放置すれば何らかの行動をとる恐れがある時に、その行動をとらせないようにすること。(抑止
  • 構造的パワーとは、他者の選択肢そのものがあらかじめある主体の影響によって制約されることをいう。
  • 軍事力とは、戦争を前提に主権国家が独占する組織的暴力であって、極めて近代的な概念である。
  • 戦争において重要なことは、圧倒的な軍事力とそれを行使するための準備を整えておくことである。
  • 核兵器にしてもRMA(Revolution in Military Affairs)にしても、主権国家システムと戦争の関係を根本的に変化させるものではない。
  • 「複合的相互依存」状況は、グローバル化の時代においても一部の先進諸国間でしか出現していない。
  • 国家間戦争が激減したという事実は、軍事力の意義が低下したことを意味するものではなく、軍事力の抑止効果による側面もあることを見落としている。
  • 軍事力が担う主要な安全保障機能は、①強要機能、②抑止機能、③抵抗機能に大別される。
  • これに対し、軍隊の非戦闘能力、軍事力の付加価値機能に着目した④民生支援機能が注目されるようになってきた。
  • いかなる国家も軍隊を保有するのは、軍隊の規模にかかわらず軍事力には常に一定の抵抗機能が期待できるからにほかならない。
  • 軍事力の価値剥奪機能と価値付与機能はトレードオフの側面にある。
  • informationは、収集したデータ、情報そのものである。
  • intelligenceは、情報分析官によって分析、評価を加えられ、その情報を利用するカスタマーに提供される製品である。
  • 危機の際に、多くの人々は真相がわからないことへの不安から少しのリスクも受容できずに、現実にはありえない100パーセントの安全を求めて同一に行動する(行動しない)傾向があるといわれている。
  • information warfareには、指揮統制通信システムの物理的破壊、コンピューター・ネットワークへの攻撃、精密誘導兵器の使用による前線の無人化などが含まれる。
  • 軍事組織の役割とは、戦争に勝利することであり、それを機能的要件という。一方、社会に支配的な価値観を尊重することを社会的要件という。
  • 主観的文民統制とは、軍を文民化し、軍を国家の鏡とすることで、文民と軍の価値観や利害を一致させ、軍を政治に参加させることによって、政治家と軍人の主観的一体化を図る形態である。
  • 客観的文民統制とは、軍を軍事化し、軍人が軍事のみに専念することで、政治に介入せず中立性を保つようになる一方で、統制の主体である文民側も軍に独自の活動領域を認め軍の自立性を尊重することにより、両者の一種の分業体制とする形態である。
  • 南米や東南アジア諸国で典型的にみられる軍による政治介入の傾向を近衛兵主義(praetorianism)という。
  • ウブサラ紛争データプログラム(UCDP)の紛争データ(1946年以降)によると、①武力紛争は1980年代後半まで増加し続け、これ以降減少傾向にあること、②国家間の武力紛争や植民地獲得戦争は一貫して減少傾向にあること、③1960年代以降の武力紛争は圧倒的に国内武力戦争(内戦)であることがわかる。
  • 戦闘における死者数が最も多かったのは1940年代後半から1950年代初頭にかけてであり、これ以降は、戦闘における死者数は減少傾向にある。
  • 武力紛争を背景とした人道危機は複合的人道危機(complex humanitarian emergency)と呼ばれている。
  • 20世紀初頭の戦争による犠牲者は軍人と文民の比率が8対1だったのに対し、1990年代になるとその比率が逆転し、1対8となっている。
  • 現代の紛争では民兵や準軍事組織が活発に活動する。先進国に拠点を置く民間軍事会社(Private Military Company/Firm: PMC/PMF)が、紛争地域において軍事行動、軍事コンサルティング、軍事作戦支援などを担うことも多い。
  • 国際社会の一員として自力で自身を維持していくことができない国家を「破綻国家(failed state)」と呼ぶ。
  • 冷戦後に発生した国際危機のうちの77%において破綻国家(またはその予備軍)が関与している。
  • 内戦後の社会で当事者の間に信頼できるコミットメントが形成される可能性は低い。なぜなら、反乱軍が武装解除、動員解除、社会再統合を行えば、それまで拮抗していた軍事バランスが崩れ、政府軍によって容易に討伐されてしまう可能性が生じるため、反乱軍は和平プロセスを履行しないことが多いからである。
  • 「和平妨害者(スポイラー: spoiler)」とは、交渉によって生まれる平和によってそれまで保有してきた権力や価値観、利益などが奪われると考え、和平交渉を暴力によって阻止しようとする紛争当事者をいう。
  • 冷戦終結後の世界においては、国家間の武力紛争がほとんどみられなくなったのに対し、民族問題や宗教問題などを根底に抱えた内戦型の紛争が目立つようになった。
  • 1992年に、ガリ国連事務総長「予防外交(preventive diplomacy)」を国連の実施すべき平和活動の一つに挙げた。予防外交とは、「当事者間の係争の発生や現に存在する係争の紛争へのエスカレートを防止するとともに、紛争が勃発してしまった際にはその拡大を限定するための行動」と定義された。
  • 「対応的予防(operational prevention)」は、武力紛争の勃発がさしせまっている危機的な状況下で、それを食い止めようとすることをいう。
  • 「構造的予防(structural prevention)」は、そもそも危機的な状況が引き起こされることのないよう、より長期的な視点で行われる紛争予防努力をいう。紛争の根源的原因を緩和・除去することを目指す活動である。
  • 紛争予防は、極めて幅広い領域にまたがった活動であるため、国家(政府)のみならず、国家以外の諸主体にも積極的な関与が期待されている。
  • 統治の破綻がもたらす内戦の多くには、国家間戦争以上に悲惨な人道的危機が伴う。しかし、伝統的な外交や国連の集団安全保障体制は、国家主権と内政不干渉原則に立脚している。そのため、内戦型紛争への対処能力には乏しい。
  • 現代世界における紛争の多くは、多民族国家における民族間の支配権争い、少数民族の分離独立闘争、宗教的聖地(たとえばエルサレム)の帰属をめぐる争いといった、妥協が極めて困難な争点をめぐる戦いである。
  • 紛争地においては、紛争の予防・管理・解決が実質的に同時進行する可能性がある。
  • ある国において大規模な虐殺などの深刻な人権侵害が起きていて、当該国家がその自体を改善する意思や能力を持たないとき、国際社会がある国へ軍事介入する行動を「人道的介入」と呼ぶ。
  • 過去においては、人道的介入が実は権力闘争や地政学的拡張主義を覆い隠す「隠れ蓑」にされた。
  • そもそも軍事力を用いた介入が人道的であるはずがなく、言葉として矛盾していると考える人もいる。
  • はたして人道目的で武力が行使されるのかという点に疑問を持つ者も多い。
  • コソボ問題では介入する側が、介入時の自国の犠牲者を極力減らしたいがため、高高度からの空爆を行った。これは地上軍を展開する場合と比べて誤爆や付随的被害を生むなど負の要素も多く持っていた。
  • コソボ問題への介入の引き金となった一つの事件に「ラチャックの虐殺」があるが、当初45人が虐殺されたといわれていた。しかし、ルワンダにおいては100万人の犠牲が出たにもかかわらず、国際社会の反応は鈍かった。
  • このような大きな問題をはらみつつも、人権保障の意識の高まった現在において人道的介入を全否定することも困難となっている。
  • 信頼醸成措置(Congidence Building Measures: CBM)とは、紛争の予防と再発防止のための安全保障手段を指す。
  • 攻撃的意図のないことを伝達し、伝達された意図が正しいかどうかを確認することで、不信を安心に変えることができれば、武力紛争の危険性は大幅に低下する。
  • 相手を知ることと協力を実現すること、そして協力の積み重ねと共通認識を形成することとの間には大きな飛躍がある。
  • 多くの場合、軍事的安全が保証されないところで、協調的な国家関係を構築するのは難しい。
  • 力の弱い国にとって情報の開示は脆弱性を暴露するリスクを伴う。
  • CBMの名のもとに協調的ムードだけが尊重され、肝心の非攻撃的意図の確認が先送りされれば、不信の軽減にはならない。
  • 低リスク、低コストのCBMにとどまる限り、そこから獲られる協力の成果も限定されたものにならざるをえない。
  • CBMは現状維持を思考する国家間の意図せざる紛争の予防には有効であっても、悪意や現状変更の意図を持つ国家との紛争の予防には効果が期待できない。
  • テロ集団のようにCBMを行うための対話さえ成立しない紛争当事者に対して、CBMの効用を論じる余地はない。
  • 冷戦終結後は内戦が武力紛争の大半を占めているにもかかわらず、和平協定の数は劇的に増大した。冷戦終結による軍事援助の縮小と、国際社会の積極的関与が、和平交渉を促したと考えられる。
  • 和平協定は必ずしも持続的平和を保障するものではない。その主要な原因は、和平協定に、紛争の非両立性を克服するための合意事項を盛り込むことの難しさにある。
  • 紛争解決が目標とする持続的平和を結果的に実現するには、紛争予防、紛争管理、紛争処理の手法を併用する必要がある。
  • 冷戦の集結は89年11月にベルリンの壁が突如崩壊するまで予見されていなかったため、冷戦後の世界秩序は事前には議論されていなかった。
  • ポスト冷戦、あるいはポスト911の世界秩序については、依然として明確な姿が見えない状況が続いている。
  • 安全保障への予防医学的アプローチには陥穽もある。①過渡に理想主義的になりがちである。②軍事的手法を中心とした臨床医学的アプローチが不要になったわけではない。③国家や国際レベルの安全保障をないがしろにすると、かえって地球レベルで大厄災が起こる。
  • 911テロは、①テロリストが、大量破壊兵器やミサイルなしてもすでに目的を相当に達成可能であり、テロ対策の最先進国である米国でさえそれを未然に防止しきれないことを明白に示した。②相互依存の進んだ世界では、先進民主主義国だけが外の地域から切り離された形で安全を享受することはできないこと、産業化・情報化した先進民主主義社会が、破壊活動に著しく脆弱なことを明らかにした。
  • 911テロが世界に突きつけたのは、「アナーキーで多様な価値観が併存する世界で、誰が、いかにして秩序を供給するのか」という古くからの課題に対し、こうした変化を前提としてどう答えるべきかという問題であった。
  • 911テロは、世界秩序のフォロワーとして今や非国家主体をも考慮する必要があり、非国家主体から秩序に従う意思をいかにとりつけるかが、今後の国際安全保障上の課題となることを明らかにした。
  • 自由や民主主義以外の価値観や正義感にも最大限配慮し、不満や不正義の少ない秩序を実現するよう努力することが、先進諸国にとっての責務である。
  • 911テロ後の安全保障には、重大な変化がみてとれる。それは、世界で、平和と軍事力の関係に関して、革命的といっても過言ではないほどの発想の大転換が進みつつある。
  • 国際社会は、国際テロリズム大量破壊兵器拡散、弾道ミサイル拡散といった脅威を、今や伝統的な国家間紛争以上に重視し始めている。
  • 破綻国家がテロリストの根拠にされやすい。
  • 先進諸国は、平和構築や国家再建といった国際協力活動を、自国の安全を守るためのテロとの戦いの一環として、国益上不可欠の活動とみるようになった。
  • 内戦型紛争を管理して平和を作り出すための活動では、軍事力に求められる役割が、従来の戦争の場合とはまったく異なる。現在の国際平和活動に従事する軍隊にとって、戦うことは主目的ではない。治安回復、人道援助、復興開発協力といった、伝統的には軍が担わなかった役割を通じて平和を作り出すことが目的である。しかし、必要があれば断固戦うことも依然求められている。
  • ボスニアコソヴォでの経験は、欧州が米国の支援なしにはこうしたレベルの紛争にも満足に対応できないことを示した。
  • 日本の安全保障政策には、集団的自衛権不行使や専守防衛などの冷戦期からの自主規制が今も残る。こうした自主規制の下では、日米共同行動の可否が、地域や世界の平和のための必要性よりも、憲法その他法制上の理由によって決定されがちである。
  • 今日、国連は、テロや内戦型紛争に対応し、国家以外の主体をも相手に平和活動を行わなければならなくなっている。
  • サミットが先進民主主義国の枠組みだとすればロシアが加わっているのはおかしく、価値や理念とは無関係に世界の主要国の結集をはかるのであれば、中国やインドが加わっていないのは奇妙である。
  • NGO武力を持たないため、活動を実施するためには、国家あるいは国際機構の手によって、現地の軍事的安全が確保されていることが必要である。また、NGO財政規模や人力規模には限界があるため、国家や国際機構との協力や役割分担が不可欠となる。
  • 集団的自衛権に対する日本政府見解では、「国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている」ので、「わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然である」とされるが、他面で、「憲法だ9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている」と説明される。
  • 個別的自衛権集団的自衛権の行使の差は、国際的には直接的な自衛か他衛かの差(態様の差)とみなされているのに対して、わが国では、自国防衛のための「必要最小限度の範囲」を超えるか超えないかの差(量的な差)と理解されている点が、解釈として特異である。
  • 政府解釈の最大の問題は「国際法保有憲法上行使不可」の一見精緻な論理のかたわら、憲法上は集団的自衛権保有するのか否か」という確信の一点の吟味が回避されていることにある。
  • 国連PKOを含め、国際的な平和協力活動における武力行使は、そもそも自衛権の行使ではない。
  • 集団安全保障とは、複数の国々によって構成される集団において、メンバーが相互武力不行使を約束した上で、勝手な武力行使を行ったメンバーには他の全メンバーが協力して制裁を加えるというものである。
  • 集団防衛とは、「自国と密接な関係にある外国」(最も普通には同盟国)に対する外部からの攻撃を、自国に対する攻撃とみなして共同で実力により阻止することをいう。
  • 集団安全保障とは、ある集団のメンバー相互間の平和が崩れることを防ごうとする仕組みであるのに対し、集団防衛は、集団の外部からの攻撃を想定して平和を守ろうとする仕組みである。