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歴史や政治を中心に本の要約を紹介します。たまにゲームレビューも。

興亡の世界史10 オスマン帝国 500年の平和

 

 

きっかけ

  • オスマン帝国が何百年も続く大国だったことを知って以来、何冊かの本を読んできました。
  • この本もずっと気になっていて、Amazonマーケットプレイスで安くなるのを待ち続けていましたが、953円+配送料250円でついに購入しました。

著者は?

感想

  • Amazonレビューで高評価ですが、どこから読んでも面白み、新鮮味に欠けました。
  • 文章は堅実、地味。落ち着いていて良いのですが、ぐいぐい読ませるほどのパワーは感じませんでした。
  • オスマン帝国に関して、最初に読んだのが本書だったなら、へぇー、なるほど、と面白く読めたかもしれません。しかし、私はこれまでに何冊か類書に触れてきました。なんとなくでも基礎知識は頭に入れて、広く薄くカバーしているつもりです。
  • そうなると、私の好奇心を刺激するには、かなり狭いところを突いてもらうことが必要。そこが物足りませんでした。
  • 良い本だとは思うのですが、総じてちょっと期待外れ、がっかりでした。

メモ

  • 徴税請負制はこれまで在郷騎士に授与していたティマール地を没収し、その税収を郡などの単位でとりまとめ、特定の徴税請負人に期間を区切って買い取らせるという手法である。
  • 新しい徴税請負権の購入者となった者の多くは、常備軍に属する軍人たちだった。
  • イェニチェリ軍は14世紀以来、スルタンの周囲を守る直属の精鋭常備軍として、華々しい活躍をし、同時にその規律と団結を誇ってきた。
  • 第一次露土戦争オスマン帝国は急仕立ての大軍を編制した。しかし、能力、規律、補給の面でロシアに劣り、敗北した。
  • 露土戦争の敗北に直面し、オスマン帝国の中枢では、官僚出身の政治家たちの起案により、大きな変革が始まった。その方策は、中央への求心力を回復し、新しい中央集権体制をつくり出すことだった。外国の干渉を排除して帝国を維持し、臣民の国家への忠誠を確保するには、伝統的な集権体制の問題点を克服することがなにより求められたからである。
  • 1789年に即位したセリム3世がまず着手したのは、軍事技術の近代化と、訓練された新しい部隊の設立であった。1826年、西欧式の砲兵隊は首都のイェニチェリ軍を殲滅し、その軍は廃止された。
  • 改革の当初よりの課題であったイェニチェリの改革は、33年を要してようやく決着した。それだけ、イェニチェリが社会に深く根を張り、また、支配エリートによる上からの改革に対抗する力が強固だったことを示している。
  • 続く目標は、地方におけるアーヤーンの一掃だった。マフムト2世がとった手法は、一つには、政府に協力的な有力アーヤーンの子弟に要職を与え、政府内に取り込んでいく方法だった。これにより、在地での基盤は徐々に失われた。その一方で、政府に非協力的なアーヤーンに対しては無理難題ともいえる多大な負担を課し、それに背けば反逆者として処刑するという強硬な手段だった。ほとんど独立国家にも等しい勢力を誇っていたアーヤーンが、短期間に政府に吸収されていった。
  • 特にバルカンの有力アーヤーンは、武力により討伐された。しかし、そのプロセスは、バルカンの一部の地域の社会状況を極端に不安定なものにし、農民・と市民の反乱の勃発を招いた。その混乱のなかから、セルビアギリシャ独立運動が生まれた。
  • 1832年ギリシャはイギリスの主張に従いカトリックのドイツ人王をいただく王国となった。ギリシャの独立は、ヨーロッパ列強の力により、その意図に基づき実現された。独立したギリシャの政治は、この後、19世紀を通じてヨーロッパ列強に支配されることになった。
  • 広大なオスマン帝国のもとで長い期間、国境線が問題となることがなかったバルカンでは、民族主義きわめて危険な手段だった。ヨーロッパ列強の支援により、それぞれの「民族の国」として自立、独立の道を歩きはじめたバルカンの諸民族は、その矛盾を、その後、今日に至るまで背負うことになるのである。
  • エジプトに置いて自力で事実上の独立を達成したムハンマド・アリーは、はるかに強力な地域的基盤を持っていた。エジプトという地域が政治的、経済的なまとまりだったからである。
  • ムハンマド・アリーは、非合法的な権力を持っていたマムルーク軍人たちを1811年に殲滅し西欧式軍隊を編制したこと、徴税請負制の廃止や専売制の導入などにより財政基盤を整えたこと、また世俗的な初等・中等教育制度を設立したことなどの点で、エジプトは中央政府の手本となった。しかし、対外的な発展はヨーロッパ列強の利害によって制限され、オスマン帝国の宗主権下に残された。
  • 18世紀末の伝統的なオスマン秩序の終焉こそが、新しい「進歩」と「流血」の時代の幕開けだった。
  • 近代オスマン帝国は、民族を軸に、均質な国民から成る「国民国家」の対極にあった。
  • オスマン帝国を必要としてきた諸民族が、自分たちの「国」を求め、共通のプラットフォームとしての帝国を必要としなくなった時、近代オスマン帝国は消滅した。