本・ゲ・旅

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世界史の誕生

 

きっかけ

長らく段ボール箱に眠っていました。「2012年5月20日 第6刷発行」とあるので、下手すると9年くらいお蔵入りしていた可能性すらあります。しかも、その間に著者は亡くなっていました。

それを読もうと思ったのは、イスラームの次に、モンゴルに興味関心が湧いてきたからです。我が家にある数少ないモンゴルの歴史に関する本のひとつがこれでした。

著者は?

どんな本?

世界史はモンゴル帝国とともに始まった!地中海文明中国文明の運命を変え、東洋史西洋史の垣根を超えた世界史を可能にした、中央ユーラシアの草原の民の活動。モンゴルの発展と伝統から世界の歴史を読み直す。

感想

  • 本書の「あとがき」がそのまま本書の要旨となっているので、これを読んでから本編に入ると理解が容易となり助かります。
  • モンゴルの歴史の話を楽しみに読み始めましたが、「歴史」にまつわる薀蓄が続くばかり。ようやくモンゴル帝国の解説が始まったのは、なんと第6章、202ページからでした。
  • 中国sageな箇所がいくつかあるのが意外でした。中国史が専門だから、てっきり中国アゲアゲかと思っていましたが、そうでもないようです。
  • モンゴルが世界史を創ったという発想は、壮大で刺激的。モンゴル帝国がいまのインド、イラン、中国、ロシア、トルコなどの国家の元になったというのは、理解できます。しかしながら、「インド、イラン、中国、ロシア、トルコはいずれもモンゴル帝国の継承国家である。」とまで断定するのは、ちょっと言い過ぎだと感じました。それぞれの地域の歴史学者政治学者がこの主張をどう受け止めているのか、興味があります。

メモ

  • 日本人にとって歴史とは、どの政権が「天命」を受け、「正統」であるかを問題にするものだった。
  • 東洋史西洋史は、いずれも中国型の「天命」史観、「正統」史観の論理に基づいて、しかもそれぞれ独立に出来上がっている歴史である。
  • 歴史という文化を創り出したのは、地中海世界で『ヒストリアイ』を書いたへーロドトスであり、中国文明では『史記』を書いた司馬遷である。
  • へーロドトスが創り出した地中海型の歴史では、大きな国が弱小になり、小さな国が強大になる、定めなき運命の変転を記述するのが歴史だということになっている。
  • アジアに対するヨーロッパの勝利が歴史の宿命であるという歴史観に、キリスト教の善悪対決の世界観が重なって、アジアを悪玉、ヨーロッパを善玉とする対決の歴史観が、現代の西ヨーロッパ文明にまで影響を及ぼしている。
  • 今のロシア語で中国を「キタイ」、中国人を「キタイツィ」と呼ぶのは、契丹が語源である。
  • 歴史は人間の住む世界にかかわるもので、人間のいないところには、歴史はありえない。
  • 歴史は文化であり、人間の集団によって文化は違うから、集団ごとに、それぞれ「これが歴史だ」というものがあって、ほかの集団が「これが歴史だ」と主張するものとはずいぶん違う。
  • 暦と文字の両方があって、初めて歴史という文化が可能になる。
  • 歴史のある文明よりも、歴史のない文明の方が、はるかに数が多い。
  • 自前の歴史文化を持っている文明は、地中海文明と、中国文明の2つだけである。
  • 歴史というもののない文明の代表は、インド文明である。
  • 歴史のあるイスラム文明が、インドに歴史を持ち込んだのであって、インド文明そのものは、ついに歴史を持たなかったわけである。
  • 隋も唐も鮮卑の王朝である。
  • どの時代の中国においても、支配階級の「夷狄」のほうが、被支配階級の中国人よりも文化において優っていたのである。 
  • 中華思想は、中国人の病的な劣等意識の産物である。
  • キタイ人は、遊牧型の政治組織と中国型の都市文明の結合に、初めて成功した人々であった。そのキタイ人が中央アジアイスラム地帯にカラ・キタイ帝国を建てて、やがて来るべきチンギス・ハーンモンゴル帝国に道を開き、その先駆者となった。
  • 金帝国は、通貨供給の補助手段として、約束手形を大量に発行した。これが信用取引の慣行を促進する結果となり、信用を基盤とする資本主義経済の萌芽を生み出した。
  • モンゴル帝国西夏、金、カラ・キタイ(西遼)・ホラズム・アッバース朝南宋を滅ぼし、ウイグル・大理・高麗を従えた。
  • 1241年、オゴデイ・ハーンが死去し、モンゴルの遠征軍は東経16度線で突然、進軍を中止して引き揚げた。
  • モンゴル人は何度もシリアとエジプトを征服しようと試みたが、ついに成功しなかった。
  • モンゴル帝国内部の、遊牧君主の所領を「ウルス」という。一つのウルスは、専属の遊牧民の集団とその家畜と、やはり定住民から財物や労働力を徴発する特権とから成っていた。
  • 俗に「モンゴル帝国は4大ハーン国に分裂した」というが、これは不正確な言い方である。モンゴル帝国には、創立者チンギス・ハーンの時代から、すでに多くのウルスが存在して、大ハーンといえども、支配権が直接及ぶのは自分の直轄のウルスだけで、それ以外のウルスの内政に介入する権利はなかった。
  • 雑多なモンゴル人のウルスから成るモンゴル帝国を統合していたのは、偉大なチンギス・ハーンの人格に対する尊敬と、チンギス・ハーンが天から受けた世界征服の神聖な使命に対する信仰であった。チンギス・ハーンがすなわちモンゴル帝国であり、モンゴル帝国がすなわちチンギス・ハーンだったのである。
  • 「ムガル」は「モンゴル」のなまりで、ムガル帝国はすなわちモンゴル帝国である。
  • 朱熹の完成した朱子学は、科挙用の経典の公認の解釈をくつがえすものであったから、異端として迫害され、南宋時代にはついに公認されなかった。その朱子学を保護したのが、あらゆる宗教に寛容なモンゴル人である。
  • 清朝は、よく誤解されるような、中国の王朝ではない。中国は、清帝国の植民地の一つに過ぎなかった。
  • 中国人の中華民国は、清朝の帝国統治権を引き継いだ正統の政権であると主張したが、モンゴル人もチベット人も、それまで一度も中国人に支配されたことはなく、中華民国の支配権を認めるはずがなかった。
  • 中華人民共和国は、清帝国の旧領土のすべてを支配している。例外は独立を保った外モンゴルモンゴル国)だけである。
  • インド、イラン、中国、ロシア、トルコはいずれもモンゴル帝国の継承国家である。
  • 世界最初の紙幣を発行して成功したのもモンゴル人であった。
  • 明朝は元朝に倣って不換紙幣を発行したが、中国人の明朝の信用はモンゴル人の元朝に遠く及ばず、その紙幣はまったく流通せず、中国の経済は沈滞した。
  • モンゴル帝国の弱点は、それが大陸帝国であることにあった。陸上輸送のコストは、水上輸送に比べてはるかに大きく、その差は遠距離になればなるほど大きくなる。
  • アメリカ合衆国も、日本も、EUも、かつてのモンゴル帝国の支配圏の外側で成長してきた勢力であり、一様に資本主義経済で成功している。
  • ロシアと中国で、20世紀になって革命が起こって、皇帝制度が消滅すると、それまで皇帝の人格を中核として維持されていた帝国の領土・領民の統合を、新しい共和国が引き継いで維持しようとすれば、流行の民族主義を抑え込んで分裂を防ぐための、何か別の原理が必要になる。それに便利だったのが、マルクスが主張した階級闘争の理論である。
  • ソ連にしても、中華人民共和国にしても、皇帝抜きで帝国の統合を維持し正当化するためには、民族を超えた労働者・農民階級の連帯というフィクションが必要だった。
  • 13世紀のモンゴル帝国の建国が、世界史の始まりだというのには、4つの意味がある。
  1. 「草原の道」を支配することによって、ユーラシア大陸に住むすべての人びとを一つに結びつけ、世界史の舞台を準備したこと
  2. モンゴル帝国による統一以前に存在したあらゆる政権が一度ご破算になり、あらためてモンゴル帝国から分かれた新しい国々がもとになって、中国やロシアをはじめ、現代のアジアと東ヨーロッパの諸国が生まれてきたこと
  3. 北シナで誕生していた資本主義経済が、草原の道を通って地中海世界へ伝わり、さらに西ヨーロッパ世界へと広がって、現代の幕を開けたこと。
  4. モンゴル帝国ユーラシア大陸の陸上貿易の利権を独占したため、その外側に取り残された日本人と西ヨーロッパ人が、活路を求めて海上貿易に進出し、歴史の主役がそれまでの大陸帝国から、海洋帝国へと変わっていったこと
  • モンゴル帝国が、一方で起こった事件が、ただちに他方に影響を及ぼすような世界を創り出した。
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