本を買うようになってから20年。これまでに買った本が何千冊になるか把握しておりませんが、私は本を捨てようものならもったいないおばけに一生添い遂げられる気がしてしまう貧乏性ゆえ、読み終えた本を捨てたり売ったりすることなく、家宝の如く大事に守ってきました。そのせいで、引っ越しのたび、大量の本を段ボールに詰め込んでは出し、詰め込んでは出しを繰り返す羽目にもなりました。本は重いので、一番の重労働です。そのたびに、もうやだ、今度こそ売り払って身軽になってやると一旦は決心しながら、しかし何かが私を思いとどまらせ、本たちは1年また1年と延命して、ついに20年も経ったのです。
とは言え、本棚と物置の肥やしとして大活躍した彼らの消費期限は、もうとっくの昔に切れました。彼らのうち99%は、二度と読まないでしょう。しかし、その99%の中に、何年後かにふと読みたくなる、なのに手に入らない、そんな貴重な本が隠れているのではと気になってしまうのもまた私なのです。
私が本棚の整理を考え始めたきっかけは、YouTubeで汚部屋片付け動画と本の買取実践動画を見たことです。
何もない部屋っていいな。
捨てたら0円のものが、多少でもお小遣いになるなら嬉しいな。
これまでの私は、すっきりと片付いた部屋を想像しながら、いざ片付けを開始すると本に情が入ってしまって頓挫、を繰り返していました。しかし今度こそは、本の整理で満足せず、買取に出すことを目標に決めました。名古屋グランパスがゼロで抑えるという強い気持ちで試合に臨むように、私も「絶対売る!」という強い意志で臨みます。
まず、物置から段ボール箱を引きずり出し、部屋で中身を検めます。
「こんな本あったなぁ!」
「まだ捨ててなかったのか!」
過去に、夢中になって片っ端から読み漁った作家の本と再会しました。米原万里、斎藤美奈子、内田樹・・・。なかなか強力な布陣です。
ふと、昔なつかしい光景が蘇りました。名古屋の繁華街です。独身時代、私は月1ほどの頻度で栄に出掛けていました。流行に敏い若者は、めいめいのお気に入りのお店で服でも買うのでしょう。しかし私の目的地は違っていました。本との出会いを求め、大型書店に足を運ぶのです。旭屋書店、ジュンク堂書店、あおい書店・・・。当時は蔵書数50万冊クラスの大型書店がいくつもありました。そこで私は2時間ほど滞在して、ひたすら書籍を物色しました。今よりもまだ好奇心と体力があったものと見えます。あ、購買力もありましたね。私はたいてい、5, 6冊ほどの書籍を購入しました。それは、私の数少ない「自己投資」でした。新品の書籍が詰まった紙袋を提げて栄を歩くのが、今思えば私をちょっとした「インテリ気分」にしていたのでしょう。私は知識人にでもなったつもりで、揚々と街を闊歩しました。当時の私にとっては、それがもっとも幸せで価値のある時間の過ごし方のひとつでした。
その後結婚した私は、移動手段が車メインになったことなどから、栄に行く機会が減りました。子どもが生まれてからは、栄へ行くどころか、書籍費そのものが激減しました。次第に読書そのものが疎遠な存在となったのです。
だから、いま段ボール箱から取り出した、目の前にある古本の大半は、私が栄でいい気分になっていた、若かりしあの頃に買ったものです。これらの古本とは、現住所へ引っ越すときに段ボール箱へ突っ込んで以来ですから、6年ぶりの再会となります。私はそれをちょっとだけ喜びました。喜びつつも、99%は要らない本です。残り1%の必要な本だけを引き抜いて、あとは心を無にして段ボールに再び詰め込むのみです。
ところで、処分する準備をせっせとすすめる一方で、生き残った本たちをどうするかも悩みどころです。そんなときにたまたま目についたのが、この記事でした。
「きれいすぎる本棚は死んでいる」
https://studyhacker.net/dead-alive-bookshelf
私は見出しにハッとしました。思い返すと、私はこれまで、本を綺麗に並べることばかりに神経を遣ってきました。レーベル、著者、ジャンル、背表紙の色…。それらをできるだけ統一し美しく魅せることが、私にとっては最重要課題でした。私は陳列命だったのです。
しかし、この記事の著者にしてみれば、私の本棚はまさに死んでいたのです。そして、その本棚を殺したのは、他でもない私です。私は本に侘びたくなりました。
私は、どうにかして本棚を蘇生させたいと思いました。そこで、この頃強い興味があった、イスラーム関連の本だけを抜き取って並べてみました。
新鮮でした。まるで、本が舞台でスポットライトを浴びているかのようです。死んでいた本が、居場所を得て蘇ったように感じられました。
これに気を良くした私は、ひとまず本棚を空っぽにすることにしました。本が棚を埋めているだけではなんの価値もない、と気づいたからです。本に対する執念を断ち、ときめく本だけを残す。まさに断捨離とこんまりメソッドの実践です。それから数日間、私は気が向いた時に段ボールを持ってきては、本棚の本を抜き出し箱に詰める作業を繰り返しました。
ついに、本棚で死んでいた私のすべての本が段ボール箱に収まりました。こうなってみるとスッキリして気持ちが良いもので、本棚が空っぽになって寂しいとは感じません。それどころか、いっそ本棚も処分してしまいたくなります。
が、その前にまず段ボールに詰めた本を処分するのが先です。私はネットで比較検討した結果、バリューブックスを利用することにしました。バリューブックスは、背表紙を写真に撮ってアップロードすると、その場で買取価格を表示する便利な機能を提供しています。そこで、試しに東野圭吾のハードカバーの背表紙を撮影し、買取価格を調べてみて、私はえっと叫びました。
「じゅ、10円?ゼロ円?」
私がかつて発売日に2000円近く払って買い求めた本は、ほとんど無価値だというのです。そんなはずはと思い、全く別の本の価格も調べてみました。が、同様に10円や30円という、駄菓子の価格のような数字が表示されるばかりです。
私は目眩を覚えました。査定額に対する怒りではありません。ここまで社会的に価値のない本で私は本棚を埋めていたのかと、私自身に呆れたのです。いったい私の感覚は、どこまで鈍いのかと。
しかしながら、この事実が私に本の処分を決心させてもくれました。自分が持っている大量の本は価値がないのだから、ますます所有する意味がない。私はいよいよ躊躇がなくなりました。
私はバリューブックスで買取を申し込みました。翌日の午後にヤマトさんが玄関まで引き取りに来てくれます。私は、夜のうちに玄関まで段ボール箱を運ぶことにしました。しかしながら、本は重い。本当に重い。なんでこんなでかい箱に詰めたんだ過去のおれは、ちくしょうと苦笑いせざるを得ません。2階と玄関を10回ほど往復したでしょうか。息は絶え絶え、額からは汗がにじみ、腕や太ももはピリピリと悲鳴を上げています。全部運び終えた私は、ビクトリー!と蚊の鳴くような声で自分を讃えました。
それから5日めとなる日曜日、バリューブックスから待ちに待ったメールが届きました。査定価格の通知です。
私の感想は、
- 価格のつかない本が143冊もあったのか。残念だ。
- 5箱で1万円ならまぁいいか。
の2つです。
それよりも、買取価格を承諾したら、1冊ごとの買取価格を閲覧できなくなってしまったことが不満です。買取結果は自分の読書リストにもなるので、むしろCSVファイルか何かで提供してほしいくらいです。買取価格や所要日数に不満はありませんが、ここは改善を求めたい。→振込完了後に再閲覧できるようです。
以上が、私が蔵書を手放すまでの経緯です。
また本を溜め込んで、こんな苦労を繰り返すのはこりごり。そこで今後は、こんなルールで運用してみようと思っています。