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トヨトミの野望

 

トヨトミの野望 小説・巨大自動車企業

トヨトミの野望 小説・巨大自動車企業

 

感想

面白い。面白いのだけど、その理由は、史実自体が面白いからである。主人公は、かつてマニラに左遷されるも、創業家社長に見込まれて本社に復帰し、大胆かつ的確な判断で、僅か4年でトヨタを倍の規模に仕立て上げた名経営者である。そんな人物を小説の材料に用いて、面白く書けないわけがない。

しかし、人物伝ならともかく、小説としてみると私は物足りなさを感じた。具体的に言うと、登場人物の肉付けができていない、というのだろうか。例えば、剛腕経営者は徹頭徹尾剛腕であり、豊臣家のプリンスは最後まで小心者のお坊ちゃま。性格が一面的なのである。だが、私は人間ってそんな単純じゃない、と思う。こと小説においては 、冷徹そうに見えて情にもろかったり、小人物に見えて修羅場では大胆不敵だったり、そういう意外性が読み手を興奮させるものだ。

また、本書の中で、登場人物はさかんに怒鳴ったり恐怖に震えたり涙をこぼしたりする。しかし、私はそんな登場人物に感情移入できなかった。心理面の描写が弱いせいではないかと感じる。

私がこのように物足りなさを感じたのは、著者がおそらくは元新聞記者であることに因ると思われる。すなわち、新聞記者は、限られた文字数で読者に印象付けなければならない。本書において、確かにその技術は遺憾なく発揮されている。しかし、私たちは新聞や雑誌のドキュメンタリーが読みたいのではない。

書評の中には山崎豊子と比較する向きもあるようだ。しかし、氏の小説は読んでいるこっちまでムカムカしたり打ちのめされたりスカッとしたりする、類まれな小説家としての力量を有する。それと比べるのは気の毒ではあるが、率直に言って全然物足りない。もし山崎豊子が全盛期に同じ材料で小説を書いたら、白い巨塔沈まぬ太陽と並ぶ傑作になっただろう。私は断然そちらのほうが読みたい。
著者インタビューによると、著者は奥田碩氏の再評価が狙いのようである。それならいっそ、対象を奥田氏に絞り、その分深く人物を描いたほうが、より完成度の高い小説になったのではないだろうかと、余計なお世話まで言いたくなる。

なお、内容とは別に、元・豊田市民である私は、作品中に描かれる風景がことごとく映像としてリアルに浮かんできて、そのあたりはニヤニヤしながら読んだ。例えば、まるで刑務所のようと表現された旧本社が出てくる。私は私が子どもの頃、母が車の中から古びた建物を指して、あそこに社長の部屋があるんだってと愉快そうに言ったのを思い出した。私はその後、21世紀になって、ガラス張りのモダンな新本社ビルが建ったときと同じくらいに驚いたものである。

最後に、私の希望を述べたい。私は、トヨタを中立的に描いた小説があればな、と常々思う。大企業の宿命ではあるが、トヨタもまた人々の好き嫌いや評価が極端に振れがちな会社である。ある人はトヨタ車の燃費の良さやトヨタカンバン方式カイゼンなどの企業努力を称賛する一方で、トヨタの車はつまらん、ダサいと酷評したり、下請けへの過酷なノルマや従業員の過労自殺などを採り上げトヨタの暗部と糾弾する声も小さくない。どちらに対しても私はなるほどと思う。おそらく私はトヨタを客観視したいのだ。トヨタに勤める親のもとに生まれ、トヨタの給料で育ち、友達のお父さんもみなトヨタ。(母は、誰々くんのお父さんはどこの工場で夜勤をしている、あそこのおうちは課長さん、といったことを当たり前のように把握していた。)あらゆるところにトヨタのグループ企業や施設が当たり前に存在し、無意識のうちにトヨタの恩恵を受けていた。そんな私だから、自分はトヨタに対して相当なバイアスのかかった価値観を持っているのだろうと想像している。実際、トヨタの悪口を聞くと、今でもムッとしてしまうのだ。そんな私をトヨタの呪縛から解き放ってくれる機会を私は探し求めている。