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歴史や政治を中心に本の要約を紹介します。たまにゲームレビューも。

外交感覚

 

外交感覚 ― 時代の終わりと長い始まり

外交感覚 ― 時代の終わりと長い始まり

  • 作者:高坂 正堯
  • 発売日: 2017/02/01
  • メディア: 単行本
 

きっかけ

大好きな高坂正堯先生の評論集。発売されたときからすごく気になっていて、いつか買いたい、読みたいとずっと思っていました。

ところで、なぜ私は高坂先生の本が大好きなのか。それは、この本の帯にもある「比類なき洞察」に触れることができるからです。

高坂先生の文章には、しばしば

  • 人間は・・・
  • 外交は・・・
  • 歴史とは・・・

といった、大きな主語が登場します。高坂先生の普遍的で本質的なそれらの指摘に、私は本を読みながらひとり酔いしれているのです。

しかし、そんな魅力を醸す本書を前にして、ネックになっていたことが2つあります。

  1. お値段。税抜き4,500円です。そんな高価な本、他に家にあったかな…と思い出しても出てきません。貧乏性な私は、4,500円あったら他に何ができるか…などと志の高い考えにとらわれ、迷ってしまっていました。
  2. 672ページ✕2段組みの大ボリューム。見た目の大きさ、分厚さはもはや辞書。こんな大作、専門書はもちろんのこと、小説でもなかなか経験がありません。積読癖の強い私なので、買ってもどうせ本棚で腐らせてしまうんじゃないかと想像すると、上述のお値段も相まって、決断ができないのでした。

そんな私が購入に踏み切れたのは、やはりAmazonマーケットプレイスのおかげです。私は本書をほしいものリストに登録し、以後中古価格をチェックするのが日課のようになっていました。そしてある日、私は高止まりしていた中古価格が、突然1,330円にまで値下がりしていたのを発見したのです。

1,330円!

私は、この価格なら最悪本棚の肥やしになってもいいやと割り切り、ついに本を手に入れ、3年越しの夢を果たしたのでした。

なお、本書は1977年から1995年までの18年にわたり、中日新聞ないし東京新聞に毎月連載された時論を集めたものです。高坂先生が当時の世界情勢をどう論じたかは、なかなかに興味をそそります。しかし、私が読みたいのはあくまで「比類なき洞察」の部分です。今回の投稿でも、時論についてはさておいて、「比類なき洞察」の中でズシリと響いた箇所を抜き出すことにします。

2020/4/3 追記

ズシリと響く箇所を探しながら、最初から最後まですべての論評に目を通しました。

いやはや、この満足感。素敵なレストランで、美食をお腹いっぱいいただいたような幸福感でいっぱいです。

1983年生まれの私が記憶にあるのは、だいたい1992年(小学校4年生)以降の出来事で、それ以前のことは本や映像でしか知りません。そんな私ですが、1977年ににタイムスリップして、以後その時々の出来事についての高坂教授の解説を生で聞き、なるほどと唸っているうちに、1995年に辿り着いてしまいました。購入前は恐れおののいていた672ページの大ボリュームも、思い返してみればあっという間だった気がします。

高坂教授の文章を読んで改めて感じたのは、「上から目線」が全く存在しないこと。読者に対して「これくらいは知っていて当たり前」とか「こうでなければだめだ」と求めることがなく、非常に素直な気持ちで読み進めることができます。また、複雑な理論や専門用語を排し、誰でもわかる言葉で説明しています。そのうえで、人間や歴史の本質を突く鋭い分析をあちこちにちりばめているので、まったく油断なりません。高坂教授の才能というほかないでしょう。

氏に魅了された人々がしばしば述べる反実仮想に、

「もし高坂教授がご存命だったなら、○○についてどう論じるだろう?」

というものがあります。私もたびたびそう考えます。例えば、現在世界中を苦境に陥れている新型コロナウイルス。高坂教授だったら、日本や各国の対応をどう評し、どのように人々を勇気づけるでしょうか。

語録

  • 人間は不意をつかれる形で問題に直面し、それを解決するために努力して、ある程度までは成功するが、それは完全な成功ではなく、また、解決の努力が新たな問題を生み出す。
  • 戦後の日本がひどいミスをおかしてこなかったのは、簡単に言えば無欲であったから
  • 外交において成功するためには、弱みを作らないことが第一の条件となる。
  • 備えのない国の外交は、必ず失敗し、国益を守ることができない。
  • 必要な制度的変更を国内において行うことを抜きにして外国の強引さを非難するのは、甘えん坊のすることであり、それを抜きにして政府の無策だけをそしるのは、無責任者のすることである。
  • よかれ悪しかれ、アメリカという国は、そうした理想主義的な目標を追求するときにのみ、活力にあふれ、自信を持った存在となる。
  • おそらく、これだけ歴史のにおいのするヨーロッパは、頑固な社会なのであろう。
  • 歴史はこうしたいくつかのしかたで拘束要因であるが、それは知識の源泉でもある。だから、それは今後思いがけない新しいアイデアを提出することにもなるように思われる。
  • 人質作戦がおこなわれる国は決してほめられたものではないが、それが不可能な国はまことに恐ろしい国なのである。
  • 昔から今日に至るまで、人気のある指導者はしばしば過ちを犯してきたし、無理に人気を得ようとしたものはもっと悪かった。
  • 人気のある人物とは、他の人々に活気を与えることができる人物なのであろう。だから、「人気」は政治家にとって重要なものなのである。
  • 人間は外的環境の悪化を誇大にとらえるところがある。逆に国内での可能性を過小評価するところがある。
  • 「中級国家」の集まりであるヨーロッパは、永年にわたる外交経験の蓄積を生かす以外に、国際政治のなかで重きをなしえないのであった。
  • 利害関係や考え方において妥協しつつ、協力し、少なくとも共存していくのが外交というものである。
  • 基本的な立場において相違点を持つ国とのつき合いに際しては、よく論じ合い、考え方の相違点を明白にし、それを認め合った後で友好をはかるというのが正しい態度であり、それがあって始めて「全方位外交」は成立すると言えよう。
  • 時代の環境と適合するか否かは政治家としての運・不運を決める最大のものと言えるだろう。
  • 果たして、現在の世界の環境はいかなるものであり、どのような信念を持つ政治家が適合するのであろうか。それを前もって知りえないだけに、政治はこわいのである。
  • 危機における首相の持つべき素質と平和時におけるそれとは明らかに異なる。
  • 戦争前の日本があの悲惨な戦争に突入したのも、そうしたひとりよがりの正義感とそれゆえの高慢さゆえであったと言ってよい。
  • われわれは平和を欲するなら、まず、自己の政策の正義への狂信に自らが陥ることと他人が陥ることとを警戒すべきであろう。
  • ある問題をいかなる枠組みで捉え、自らの行動をいかなる理論で説明するかは重要なことである。
  • 理論づけのない行動、あるいは低次元での行動は、ご都合主義でしかありえなくなる。
  • 外交とは、国際社会を構成するさまざまな利害と力とを見極め、それるが作り出す複雑な関係を利用して、国益を増進しつつ、国際秩序を保つ技術である。
  • 一つの体制から他の体制への移行はめったにスムーズにはいかないものである。あるいは、なにか事件を必要とする。
  • 政治の世界ではまず力が必要であり、したがって、アメリカは人に好かれないが必要なことをやっていて、それがなければだれが知恵を説いても、知恵は生きて来ない
  • 政治は結果倫理の支配する世界である。自分の心に忠実に語るというのは二の次で、不愉快でも沈黙し、なすべきことをなすというのが政治家の倫理である。
  • 人間は失敗しなければ学ばないもののようである。
  • ソ連に対して理解を示しさえすれば、世界はよい方向に進むと考えることが、いかに間違っているかは、いかに強調しても、しすぎることはない。
  • 個性的であるのはよいことである。しかし、自己閉鎖的であったり、ひとりよがりであったりするのはよくない。ごく当り前のことだが、人間の多くの過ちはこの点にかかっている。
  • 人は自らのやり方で行動するよりしかたがないが、それが一般的に通用する基本原理にかなっていなければ、自己閉鎖的になって成功しない。逆に、一見特異に見えても、成功しているものはどこか基本原理にかなっている。
  • すぐれた軍人が、好戦的人物であることはまれである。おそらく、それは彼らが戦争の悲惨さを熟知するとともに、どの戦争にも勝ちつづけることなどは到底できないのを知っているためであろう。
  • われわれ人間の学習能力はきわめていびつなものである。まるで経験から学ばないかと思えば、学ぶとなると間違った学習をする。
  • 戦争がおこると、あるいは「侵略戦争」として非難し、あるいは「無益な戦争」としてからかうのが日本人の通例だが、それは自分たちと関係がないと考えている点で無責任でもあるし、また傲慢でもある。自分たちも犯しうる過ちをそこに見て、そこから学ばなくてはならない。
  • 領土を持つということは、不快な侵害からそれを守るということである。
  • 人間の営みに、100パーセント正しいとか、100パーセント間違っているとかいったことはまずないものである。
  • 正しい歴史感覚を持たない国民はいつか国を誤るものである。
  • 人生においても政治においても、「真実のとき」とでもいうべき時期がある。真実のことが判り、真実のことをいわなくてはならない時期であり、そして人間の真価が問われるときである。
  • ひとつの国民の美徳、すなわち奥深く存在し、眠ってはいても、なくなってしまうということはない性質や、夢を呼び起こし力を与える、ということも重要な素質なのであり、それは危機に際して、とくに貴重なものとなるのである。
  • 悪いものが早くだめになり、よいものが長続きするということはいえないのである。その逆もかなり起こる。
  • 使命感のない人間が頑張れる訳はないし、重要な機能を果たしていない人間が、逆境のなかで政治的地位を保ちうるはずがないからである。
  • 人間には山を越えてなにものかを求めるという性質があるのかもしれない。
  • 深刻な対立があっても冷静な言葉遣いをする政治文化のほうが優れていると私は思う。
  • 少し前まで順調に勢力を伸ばしていた国が逆に劣勢に立つようになったときに、案外、国際関係は紛糾するものである。
  • 必要な備えはする、それとともに対話も忘れない、それが平和を維持する正統の方法なのである。
  • 特化したものは、ある意味では目ざましい成功をおさめるが、逆にその奇形性ゆえにいつかは苦しむことになる。
  • すべてものは変わるものであり、したがって、ひとつのシステムが長期にわたってまったく変わらないということはありえない。
  • 専門家がどの点で正しく考察し、どの点で誤ったかは、記録としても面白い。
  • 人間は完全に信用もできないが、羊の群れのように、むちひとつでおとなしく従うというものでもない。
  • 戦没者を追悼する気持ちを失った国民が、立派な国を築くというようなことはありえない。
  • どこか心に痛みのあるナショナリズムは悪いものではない。
  • 真実のカネ持ちは、他人を豊かにさせ、それと交流して、自らをさらに豊かにするものである。
  • ロシア人はきわめて強い対外警戒心を持つ国民である。それ故、強力な軍備を持たなければ国の安全は保ちえないと考える。
  • 内政干渉」はつねに悪いことではなく、例外的には許されることなのである。
  • 古傷というものは案外危険なものである。
  • 何かまずいことが起こると、ソ連はまず情報を遮断し、内部の混乱を避け、その後、態勢を整えてから、加工された情報を流す。
  • ソ連は、人々と仲よくしたいとは思っているが、臆病なため、長所のみならず短所をも含めて、さらけ出すことをしない人間と似ている。
  • 国際社会においては、他国の軍備が大きくなるのを歓迎するのは異例なことであり、そのようなことに理解を求めるのは常識外れというほかない。
  • あの国ならあの程度の軍事力を持っても大丈夫だろう、という信頼感のようなものを与え得る範囲で軍備を持つのが最も妥当であろう。
  • 外交では小さなけじめが重要なのであり、それがつけられないところに厳しさの欠如を私は見る。
  • 大国になるのは大変なことである。その覚悟なしに、「大国の責任」などという言葉は使わないでほしい。
  • 苦境にある人間は普通、言いわけがなくなって初めて、自らの弱さと誤りに気づき、発奮するものだ
  • 子供じみた道徳主義がアメリカ人を動かす強い力であることをわれわれは銘記しなくてはならない。
  • アメリカには反省能力があって、その強引さや手前勝手の道義主義とバランスをとっていることである。
  • 自らの課題と取り組み、やがて状況の好転を待つのが、まっとうな生き方なのである。
  • 大体、国際会議というものは、政策を決めるものではない、それは抽象的な方針のようなものを決め、それに沿って行動する国に正当性を与える―ひらたく言えばハクをつける―ところに、最も中心的な機能がある。
  • 国際協調は結局のところ、主要国の意思の強さにかかるものである
  • 多様性に富むアメリカだが、いったん国の安全保障のこととなると、国民は団結する傾向がある。なお、この傾向はアメリカのみならず、世界の多くの国に共通するものであることに注意してほしい。
  • 強大すぎる権力は社会をひとつの鋳型にはめるようなもので、いったん型ができると、社会はそこから抜け出すことが難しい。
  • 破局の可能性を減らすことは、たしかに文明的である。しかし、人間の不完全性を考えるとき、破局の可能性がはっきりしている方が、人間の自制を生みやすいことも残念ながら事実である。
  • すべて信頼で片づくほど政治は甘いものではない。
  • 全体として利害や意見の対立を発火点に達せさせることなく、なんとかやりくりし、できるならば解決に持っていく理性、すなわち外交が、これまでに数倍する重要性を持つことになるだろう。
  • 新しいシステムへの移行はつねに時間がかかり、かつ難しいものである
  • 行動は大概の場合、単なる言葉にまさる。
  • ソ連は、ある場合には介入してもよいという理論を最も強く信じていた時にではなく、それに疑いを抱き始めていたときに、アフガニスタン介入という最大の過ちを犯したのであった。
  • 失敗を犯して後、反省は本物になる。
  • 成功はつねに新たな問題を生む。
  • アメリカの力の根源は、あふれんばかりの豊かさであり、基本的な善意であった。
  • 超大国が介入しなくなれば内戦がなくなり、世界は安定するという考えは甘い。
  • 他人を助けることは大概の場合難しく、知恵が要求される。
  • 過去と訣別することは、だれにとっても、つねに難しい。
  • 人の世の営みは、矛盾をかかえつつ、なんとかやっていく以外にはないことが多い。
  • いったんひとつのシステムを作ってしまった以上、それを変えるようなことはなかなかできない
  • 虚構の上に立つ安逸は、いつかは破局を迎える。
  • 変化は、古いシステムが現実に合わず、それを支えきれなくなったから起こるという性格がより強いのである。
  • 混沌から脱して秩序をつくるためには、粘り強さや現実主義に加えて、ある程度の大胆さが必要とされる
  • 人間は必ずしもその利益の正しい認識に基づいて行動するとは限らない。劇場にかられて失敗に突き進んだり、惰性を克服できずにずるずると地位を失ったりする。
  • 人間は競争関係においてモノを見、しかもその際、自分を省みるより、他人のせいにしてしまうところがある。
  • 感情的にならずに相互に批判し合うことはきわめて難しい。
  • 権力はどのようなものであれ、すなわち、その座に着くものが善意で、使命感にあふれていたとしても、知らず知らずのうちに「普通の人々」から離れていき、腐敗がしのび寄ってくる。
  • 「普通の人々」の怒りは、怒りであるが故に、いったん力を得ると、極端にまでいってしまう。
  • 統治とは、深い谷間でおこなう綱渡りというところがある。その行為に対する緊張感を失うとき、統治者は堕落する。
  • 欠点があり、限界はあっても、戦後の国際体系がかなりましなものであったことは否定できない
  • 戦争の最大の教訓は、立派な人間がいて、よい動機があってもなお、人間も、また全体としての人間の集団も、悪を犯しうるという事実である。
  • 戦争についてもうひとつの重要な点は、指導者をはじめ、当事者たちの思いもよらない形で戦争が進行し、歴史を作っていくということである。
  • 改革には行き過ぎが避け難い。
  • 理想は恐ろしいもので、人々の頭を酔わせる。
  • 理想の社会といったようなものを政治権力によって強引に作ろうとしてはならないことが、共産主義の実験の最も重要な教訓なのである。
  • 戦争や闘争は嫌なものだが、平和もまた厄介なものである。
  • ひとつの時代の終わりは突如としてのように訪れるが、新しい時代は緩慢に始まる。
  • 人間はしばしば―あるいはほとんどいつも―“よいカイライ政権”よりも“悪い自前”の政権を選ぶものなのである。
  • 経済関係は一方の得が他方の損であるというゼロサム・ゲームではなく、両者が得をしなければ―ごく短期を除いて―成立しないゲームなのである。
  • 成功において幸運が占める比率は、きわめて大きいのである。
  • 不確かな予測に賭けるべきだと主張することは、人間に対してあまりにも多くを要求するものである。
  • 人間の世は不公平なもので、結果は美徳に応じて決まるわけでは必ずしもない。
  • 自分の言っていることは正しくて、相手の言うことは間違いであると感ずることができる人々は幸せであろう。そうした性質の人々はアメリカにも日本にも見られるが、世の中には害を流す存在だと言わなくてはならない。
  • 外交はギブ・アンド・テイクであり、したがって、これこれのことを要求するがその代わりに自分はこれこれのことをする、といった形の取引が外交の常道である。
  • 新奇で困難な状況に際して、はじめから基本的解決策が見えているといったことはまずないから、われわれは現実を直視しつつ、手探りで進む以外にない。ただ、その際、方向感覚のようなもの、あるいは、なにが基本的問題であるかを考え、その性格を知ろうとする努力もまた必要とされる。
  • あらゆる争い―冷戦もそうだが―は高くつく。そのときだけでなく、後から大きなツケとして回ってくる。
  • 人間は、たとえ客観的に間違っていても、自分が正しいと思う道を選びたい存在なのである。
  • 人間は、愚行と知っていて愚行をしたりはしない。
  • 人間は愚かであるという言葉は、決して、他人を批判、非難するときに使われてはならない。それは他人を許し、自らを戒めるための言葉である。
  • どこかで依存心があれば、真実の責任感は育ち難い
  • 原則や正義をやたらに振りかざすのはよくない。しかし、和やかななかにも原則はしっかりとしていなくては、世界のなかで生きて行くことはできない
  • 日本人は法と秩序をよく守る。しかし、その法と秩序はどこからか、だれかによって与えられたものであって、自分で法と秩序を作り、それを守るという感覚がない。
  • 日本として「戦争放棄」を貫くには、ただ叫ぶだけでなく、相当の出費と苦労が必要であることを強調したい。
  • 国は戦争に敗れても滅びはしないが、内面的な腐敗によっては滅びる。
  • 人間社会は、秩序を守るために力を用いる覚悟と、最悪の場合にはそれを使うことによって保たれうるのだし、それによって人間は人間たりうる、それは嫌な真理だが、人間という存在の根本にかかわる真理である。
  • 国際政治には紛争と厳しい対立が存在することが避けられない以上、「敗者」は絶対的な悪でも、永遠の敗北者でもない。
  • 人間だれでもそうだが、自らの能力以上のことは行うべきではない。
  • 人々はやはり豊かになりたいと思うし、また、豊かな社会の方が大体のところ―いつもというわけにはいかないが―無難なものである。
  • 国際政治は軍事問題と完全に無関係ではありえない。秩序を維持するには力も必要だからである。
  • ロシア民族には逆境に強い性質がある。
  • 人間は妙な存在で、ひとつの目標が達成された後、かえって不安になるところがあるらしい。
  • 世界には破滅が待っているという類の議論は、終末論に似ていて、たしかな根拠と合理的な思考に基づくよりは、信仰の産物である。
  • 国家は責任ある存在でなければ生きられないし、その発言は行動を伴ってはじめて責任あるものとなるからである。
  • タブーは、合理的なものではないが、原則を守る保護膜のようなもので、原則をより強固なものにする効果がある。
  • 人間というものは、合理的思考において完全なものではなく、合理的に考えているつもりでも、実際にはそうではなく誤った判断をしてしまうところがある。
  • 庶民らしい意見は大体正しいことが多いのだが、完全にそうではない。エリートたちが理性的に考えて、その圧倒的多数が賛成したことは、それなりの意味を持っている。
  • 大きな国力を持つ国が消極的であることは、不気味なものである。
  • 信頼を得ることなしに大国は生きていけない
  • 世の中には放置できないほどの悲惨がいくつか存在する。しかし、放置しないでなにかすることができるか、またなにかした方がよいかというと、そうでもない場合もある。
  • できそうもないことには、冷たいようでも、始めから手を出さないとか、撤退することも考えなくてはならないのである。
  • 政治制度は、人々がその欠点を意識しつつ運用し、かつ人々を統合するだけの目的を見出すときに初めて巧く行くという性格を持っているように思われる。
  • 力は権威を伴って初めて有効だし、安定は法と秩序のみならず、社会経済的な条件が満たされなくてはありえない。
  • アメリカには“一方的行動主義”と呼ばれるものがあるように思われる。すなわち、自らを世界的正義の守護者とし、行動する習性である。それは孤立主義の裏返しである。
  • よい案でも、なにかをやろうとするときには、必ず問題点がある。それをあえてやろうとするのには勇気がいる。
  • 嫌なことは他の国に言わせるという習慣から、日本は脱却しなくてはならない。
  • 人間は難しい問題に直面するのを嫌がるところがある
  • 韓国の人々にとって、「親しくすべき国」がそのまま「警戒すべき国」なのである。彼らは苦労人なので、協力し関係が深くなればなるほど、裏切られる危険があることを熟知しているのである。
  • 社会が政治を通じて、共同の問題と取り組んでいないことからくる漠然たる不満は、精神的危機であり、大きな危険の可能性を秘めている
  • どのような形にせよ、大国の仲間入りをすることは責任を伴う。
  • 平和はきれいごとを言うことによって作られはしない。覚悟もなしにきれいごとを言うことは、現実の改善にとってむしろ妨げになる。
  • ロシアは力を使わざるを得ない環境に置かれてきたのであり、それがつくり上げてきた習慣はそう簡単には変わらない
  • 日本人はアメリカについてはとくに、過大評価と過小評価、礼賛とひそかな軽蔑の間をゆれ動いてきたのではなかろうか。
  • 日本はアメリカともヨーロッパとも同一化できないが、アジアに安住することもできない。そこに、われわれの基本的な心理的不安がある。
  • キリスト教も、儒教も、共に絶対ではない
  • 島国はヴェネチアであれ、英国であれ、状況に対応するたくましさがある限り繁栄し、その能力が亡くなれば衰勢に向かう
  • 一国の対外影響力は、なによりも模範になること、すなわち、その国のまねを他の国々がすることによる
  • 商売というものは信用なしには成功しない
  • 一国がルールを守らせるべく強制することは、国際社会ではよくないことなのである
  • 歴史では、戦っている軍人たちのなかに、自分たちの行為への正当性への疑念を持つ人たちが少なくない
  • 人間は感情や心理だけで動くことは少ない。行動には説明が必要であって、だからこそ、人間の行動には制約力が作用するのだが、それはまた、正当化を通じて人間を妥当ならざる行動に駆り立てもする。
  • 国の運命は、大半がその国内で決まるものなのである。
  • アメリカには世界政策はあっても、外交がない
  • それ(アメリカの存在自身が普遍主義的であること)は疑いもなくアメリカの美徳なのだけれども、アメリカの常識が世界に通用するという間違った考えをとらせるところがある。
  • アメリカは制度上、外交を特別の分野として認めていないところがある。
  • 外交は異なる国情の国との交渉であるが、その外国の意見と利益を代表する勢力は議会には存在しない
  • 内政不干渉は古めかしい国際法の原則ではなくて、主権国家が並立する国際社会で生きていくために、人類が歴史的に形成した叡知なのである。
  • 外的な力によってある国の国内制度に影響を及ぼそうとすることは、ほとんどの場合、事態の真の改善をもたらさない。
  • たとえ圧制がおこなわれ、人々がそれに苦しんでいるとしても、その国の国民が立ち上がり、自らの手で自由を手に入れない限り、自由の体制ができることはまずない。
  • 問題点のない国家などはおよそ存在しない。また、欠点はしばしば美徳と表裏一体になっている。
  • アメリカは外国という環境を変えうると思い過ぎるところがあるが、日本はその逆に、それに無関心であるか、少なくとも国際環境を変えることができないと考える。
  • 自国の行動が国際環境に影響を与える程度の国力を持った国は、自らの行動が他に影響することを認識し、それを前提にしてその影響が国際環境を好ましいものにすること、少なくとも悪いものでないようにしなくてはならない。それが「貢献」ということである。
  • 大国が国際社会の中で生きるためには、ときとして積極的に提案し、行動しなくてはならない