きっかけ
高校1年の時でしょうか、現代文の教科書に載っていて読んだのが最初です。その時の感想は覚えていませんが、先生が江守徹による朗読を聞かせてくれたのは今でも覚えています。特に「毛を生じているらしい」という箇所が妙に印象的でした。
その後、学生時代にブックオフで古本を購入し、時々読み返していました。その古本を未だに持っていて、短くてすぐに読めることから、ふと手に取って再読した次第です。
作者は?
- 中島敦
- 第二次世界大戦中に亡くなったのですね。漢文調で、病気で早世したことから、なんとなく夏目漱石あたりと同世代かなと思っていました。
- 巻末の略歴を見ていて戦慄したのは、三つ子が生まれるも、たった3日で3人とも亡くなってしまったとのこと。戦前にはままあることだったと、知識としては知っています。が、自分の子が亡くなる悲しみは、どの時代、どんな状況であっても変わらないのでは。今回の読書では、本文よりもこちらに心を動かされてしまいました。
メモ
- 曾ての同輩は既に遥か高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。
- とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れないのだ。
- 羞しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己は、己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。
- 人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖を嘆じた。
- 勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。
- 己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。
- 己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。
- 飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。
問い