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歴史や政治を中心に本の要約を紹介します。たまにゲームレビューも。

イスラームとは何か

 

きっかけ

イスラームの基礎知識を幅広く学ぶために購入しました。

著者は?

どんな本?

いま世界の激動の焦点となっているイスラーム。13億を超える信者は何を考え、どのような日常を送っているのか。イスラームの基礎知識を100項目に凝縮し、わかりやすく解説。教理・思想から歴史、政治・社会、地域、生活文化まで、イスラーム世界の全体像が俯瞰できる、コンパクトな入門書の決定版。

感想

  • イスラームの用語集として最適。100語あれば私には十分すぎるほどです。
  • 1つの用語に対し、贅沢にも見開き2ページまるごと説明に充てています。世界史用語集とは比較にならない厚みのある解説を得ることができ、非常によい学びになります。

メモ

  • 旧約の預言者アブラハムは様々な偶像の不完全性、可変性を確認した後、最終的に万物の創造主である神のみに目を向けることを仲間たちに宣言した。
  • ユダヤ教キリスト教アブラハムに根ざした姉妹宗教であるという事実は、イスラームが両信仰と対等に並ぶことを意味するものではない。
  • イスラームは、連綿と続いてきたセム一神教の集大成であり、完成体であるため、他の一神教の存在理由はなくなる。
  • アッラーイスラームの神であると同時に、ユダヤ教における「イスラエルの民の神」でもあり、キリスト教における「父と子と聖霊の位相をもつ神」でもある。
  • アッラーを日本語に訳す場合、「神」と訳すことが可能であろうが、厳密には日本人のイメージする「神」とは非常に異なる意味内容を持つ。
  • イスラームをはじめとするセム一神教では唯一の神にあらゆる権威が集約されている。
  • アッラーという神名はそのような様々な属性を表す神名全てを包括し、凝集している唯一最大の神名と位置付けられている。
  • アッラーという語はムスリムが自らの神を表現し、その信仰を示すための最高の表現といえる。従って、ムスリムは我々が「神」という言葉に受ける印象からは想像できないほどの信頼と愛着をアッラーという言葉に持っている。
  • ムスリムは自らの信仰の正しさを積極的に表明すると同時に、自らの信仰対象であるアッラーと自らの間にある親近感を常に自覚している。
  • モスクとはアラビア語の「マスジド」から転訛した言葉で、今日ではムスリムの礼拝所を指す最も一般的な言葉である。
  • 預言者ムハンマドの死後、共同体の拡大と共に、特にウマイヤ朝以降、代々のカリフによるモスク築造がさかんとなる。
  • モスクは純粋に宗教的な礼拝所ではなく、政治的・公共的性格を併せもつ場となった。
  • モスクは近隣の児童がアラビア語クルアーンを学ぶいわば寺子屋としても、学者のサークル活動の場としても機能し、とくに11世紀以降は支配者によってモスク兼用の学院(マドラサ)がさかんに建設された。また、モスクは交流や休息の場として市民に開かれ、旅行者などが寝泊まりできた。他方、モスクは俗界と区別される聖域でもあり、例えばモスク内での葬式や処刑は忌避された。
  • ミフラーブとはキブラ(メッカの方角)に面した壁に設けられる窪みで、礼拝の方向を指す。偶像崇拝の禁止ゆえにミフラーブ自体は単なる印だが、モスクで最も聖なる場所として壮麗な装飾が施されるようになる。

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  • 旅行が容易となった今日では、毎年200万人近い巡礼者が、全世界からメッカに集う。メッカを管理しているサウジアラビア政府は、各国政府に対して、ムスリム人口1000人に対して1人の割で巡礼者を制限するように求めているのが現状である。

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  • イスラームは「平和」(サラーム)と同根の言葉である。
  • 軍備に国家予算が費やされ、警察国家のもとで権力が腐敗し、自由が大幅に制限されるなかで、貧困と社会不安にあえぐ国民が国家権力とそれを背後から支えている西洋諸国に対する不満と反感を強めていった。
  • イスラーム復興勢力は、社会的公正の実現と腐敗権力の打倒を掲げる反体制勢力として台頭した。しかも、イスラーム復興勢力は、社会的公正を実現するためのイスラーム的制度(喜捨やワクフ等)にもとづいて、熱心な信徒からの寄付を用いて自前の教育・福祉事業を展開し、行き詰まった国家の民生事業を補完・代替するだけの活動力ももっていた。イスラーム復興勢力は、このように理念と実際の両面で国家に不満を持つ国民の支持を獲得している。
  • ジハードは英訳の holy war から「聖戦」と和訳されているが、本来はアッラーの教えに精進することを意味する。
  • 暴力を実行・支援する人も批判する人も、西洋諸国の対中東外交における不誠実さを目の当たりにし、さらに国内でも政府が対米協調に腐心し経済問題を解決できないことに絶望している点では変わりない。
  • 宗教的側面からみると、もともと地中海は多神教の世界だったが、ユダヤ教から派生したキリスト教が4〜5世紀に帝国の保護のもとで全土に広まったことによって、一神教の世界へと変化した。
  • アラブ人進出後の地中海は、価値体系の異なる複数の文化圏が併存する世界となった。すなわち、ビザンツ圏、西ヨーロッパ・カトリック圏、そしてイスラーム圏である。
  • フランスの歴史家フェルナン・ブローデルは、地理的・整体的環境にもとづく地中海世界の一体性を強調し、そのなかで営まれる人間生活を、ほとんど不変なほど長期にわたって持続する構造をもったものと考えた。この立場にたてば、地中海ではムスリムキリスト教徒も同じ世界を生き、同じ運命を共有していたことになる。
  • イスラームの出現以降の地中海史とは、さまざまな宗教・文化に属する人びとがたがいに接触し、対立と衝突をくりかえしながらも、重層的なネットワークを形成しつつ交流した歴史だといえよう。
  • ムスリム史料では十字軍をさす特別な呼称はなく、西ヨーロッパ人を一般的にさす「フィランジュ(フランク)」がそのままあてられた。
  • 11世紀末から13世紀末の十字軍運動は、西ヨーロッパの勢力圏・商業圏が東方へ拡大していく過程のなかにあった。
  • 16世紀の西ヨーロッパは、主権国家システムの形成とカトリックプロテスタント間の宗教対立を通じて、キリスト教の普遍性の理念が相対化されていく過程にもあった。またイスラーム圏を迂回しつつインド洋方面で貿易活動を営むようになった。
  • シルクロード」の用語の起源は、ドイツの地理学者リヒトホーフェン(Ferdinand Freiherr von Richthofen、1833年5月5日 - 1905年10月6日)が用いた「Seidenstraßen」の英訳語である。
  • 近年では、主要3幹線として、ユーラシア大陸の北方に展開するステップ(草原)地帯を通る「草原の道」、西域の砂漠地帯に点在するオアシス諸都市を結ぶ「オアシスの道」、南海海上貿易の拠点である南シナ海・インド洋・アラビア海ペルシア湾・紅海の海港を結ぶ「海の道」とに大別されることが一般化してきた。

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  • 中国において「大食」と称されたイスラーム商人たちは縦横無尽に活躍した。また後世の『大旅行記』の著者であるイブン・バットゥータに代表されるように知識人も往来して文化交流も進展した。
  • オスマン朝は1453年にコンスタンティノープルを征服してビザンツ帝国を滅ぼし、クリミア・ハーン国も属国として黒海貿易を独占した。さらに1517年にマムルーク朝をも滅ぼして「海の道」までも手中に収めて、アジア・アフリカ・ヨーロッパの3大陸に跨って東西交通の要となる巨大な帝国を築きあげ、首都イスタンブルは東西貿易の新拠点として大いに栄えた。
  • 一般に、民族とは、「他の類似する集団とは区別され、一つの固有の名前で呼ばれる『想像の共同体』であり、そこに帰属する人びとは、みずからを、象徴、価値、歴史などを共有する共同体として据え、しかも外から見てもそのような固有の属性をもつと認められるような集団」として定義できる。
  • 19世紀以降、中東イスラーム世界にもナショナリズムの思想が浸透すると、人びとは、宗教的な差異に加えて、言語的、文化的な差異をも強く意識するようになった。
  • 国家の多民族性は民族問題発生の必要条件ではあるが、決して十分条件ではない。
  • ある紛争や対立が、「民族」をめぐるものであるかどうかを定義するのは、ポレミーク(polemic: 特定の立場を支援するために反対の意見に敵対した意見を述べる議論のこと。また、論争好きな人、論客。)で、すぐれて政治的な問題である。
  • ナショナリズムというフィルターを通して世界を見ることを習慣づけられたものにとっては、さまざまな事象が容易に「民族」と結び付けられてしまう。ここに、民族問題が構造化される一つの契機がある。
  • パレスチナ問題は、中東域内での国民統合の矛盾というよりは、シオニズムという一種のナショナリズム帝国主義が結びついて、中東の外側から作り出されたものであるということを考慮せずには、理解できないものである。
  • 奴隷は、売買・相続・贈与の対象となったが、一方で主人の許可をえれば自由人と結婚することも可能であり、さまざまなムスリムの義務や刑罰に関しても自由人より緩やかな規定が設けられていた。
  • マムルーク朝の前記には王統が存在せず、マムルークの有力者が順番にスルタンとなった。
  • 15世紀以降、オスマン朝で一般化したデヴシルメ制は、バルカン半島キリスト教徒の子弟を宮廷に奉仕する奴隷として徴収する制度であった。
  • 「新しい兵士」を意味するイェニチェリは、スルタン直属の常備歩兵軍として、さまざまな戦役に活躍し、オスマン朝の領土拡大を支えた。
  • サファヴィー朝は、キジルバシュと呼ばれるトルコ系遊牧部族集団に軍事的に支えられて、国家を建設した。
  • さまざまな民族・出身のエリートが国家を支えたのが前近代のイスラーム世界の特徴であった。そして、それは近代的な国民国家とは相入れ難いものであった。
  • ウラマーとは「イスラーム知識人」などと訳されるイスラーム諸学に通じている人のこと。カトリックの司祭などとは異なり、俗人であり、妻帯が可能であるなどその行動規範は一般庶民と変わらない。
  • マドラサはしばしば「神学校」などと訳されるが、神学よりはむしろ法学を主に教授し、ウラマーを制度的に養成する高等教育機関であり、ウラマーの職業化への道を開いた。とりわけ重要であったのは方の担い手としての側面である。なぜなら、世俗法と教会法が存在するキリスト教世界とは異なり、イスラーム法が狭義の宗教の枠を超えて社会のあらゆる分野に及んでおり、それを担うのがウラマーであったからである。
  • ファトワーと呼ばれる法判断を下す者として、ウラマーは常に人びとに意見を求められてきた。
  • もう一つの特徴は位階制度によるヒエラルキーが弱く、むしろネットワーク型の緩やかな組織を持っていることである。イスラームの世界では、原則として大司教教皇に当たる究極のウラマーの権威は存在しなかったし、現在でも存在しない。
  • イスラーム銀行は利子を取って資金を貸し付けるのではなく、投資に参加し、その投資が利益を生んだ場合にその分配を受ける。銀行は企業からの利益の分与と預金者に支払う利益の分与の差額を利益とする。この利益の分与は、利子とは似て非なるものである。利子は何の活動も危険も伴わないのに対し、利益の分与は投資という積極的な経済活動であり危険を伴うからである。
  • イスラームは、富者がその富を社会のために使うことを求めている。したがって投資活動はイスラームに従う行為である。